思い出の先生

2014年11月に書いた記事です。
LINE@メルマガ「生きる力をつける親の会」で関連記事を連載しているので、再掲します。

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今日、「納得のいかない指導をしている先生がいて、その納得のいかなさが、保護者の間で少しずつ広がっている。実際に、弊害を受けている子どももいる。」という相談を受けました。

私は、人間として、どうしても止めなければいけないことがない限り、もう、親は黙っている方がいい、と答えました。

子どもっていうのは、大人が思うよりもずっと、「先生」に憧れていて、かなりのひどいことがあっても、やっぱり、「好き」なのです。
ひどい指導を目にして、それが何回か重なって、いたたまれないような気持ちになるかもしれないけど、もしかしたら、見ていないところで、子どもが落ち込んでいるときに、静かに2人で花壇の前にしゃがんで、「このお花、きれいだね。」とぽつりと話し、そのことが、子どもの心に大きく思い出として残るかもしれません。

もし、怖い先生だったとしても、子どもにとっては、その先生が「思い出の先生」になる。

私は、2人の子を育てていく中で、すべての先生の、すべての指導に大満足して大賛成しているわけではありません。
私だったらそうはしない、ってこともいっぱいありました。

でも、どんな先生も、「イヤだった」ということも含め、子どもと先生との関係を尊重して良かった、と思います。
子どもにとって、どんな思い出か、というところに、私の思いが介入しなかったからです。

それに、嫌な先生とも、だいたいは1~2年でさよならです。
自分のことを思い浮かべても、嫌いな先生も、30年経ってしまえば、懐かしい思い出でしかない。
そのひとりの先生が、自分の人生を決定づけるようなことは決してありません。

もし、不安だったら、たったひとりの人の言動で人生が左右されないような、骨のある子に育てるようにしたらいいと思います。

私は、学校の先生に、うちの子の発達について、病院での見解などを説明して相談して、どのように育んでいくか、とても熱心に考えていただいたことがあります。
「特性を伸ばしたい。」と熱意を持っておっしゃってくれたので、私も、自分の希望を話して、子どもの将来を楽しみに思い描き、明るく前向きに相談していました。

その先生が、ご自身の判断で、クラスの子どもたちに、うちの子の発達の問題を話しました。
あるひとりの子のお母さんから、「うちの子と一緒にしないでほしい。どこか、特別な学級へ行って欲しい。」と言われました。

私は、まぁ、傷つきましたけれど、とても冷静に「子どもの人生においてどうか」という大きい視野を持って、その言葉を受け止めました。

その先生の指導方法を非難する人もあるかもしれないけど、私は、結果は結果として受け止めることが親としてこの子を育てる役割だと思い、それよりも、ご自分の判断で良いと思った行動を起こした先生の勇気をありがたく思いました。
なかったことにし、余計なことはしない人は、何かあったときに、子どものために矢面に立ってくれることはないと思います。

予想通り、その後、うちの子がどうやら(まだまだ軽い)嫌がらせを受けているようだ、というときに、真っ向から対応して、一気に消し止めてくださいました。

親にはできないことをやってくれるのが先生なのだから、親の考えの範囲内で行動するわけじゃないのは、自然なことだと思います。
嫌な先生ほど、「ありがとうございます。」と接していれば、いつか軟化してくれ、少なくとも、子どもと先生の関係は穏やかになっていくように思います。

「いずれ、子どもにとって、思い出の先生になるんだ。そのときに、子どもの思い出に入り込まないようにしよう。」という考えで、それでも入り込まないといけないことかどうか、考えるといいと思います。