そんなに貸さないといけない?

子どもが小さいとき、「おもちゃの貸し借り」がとても大きな子育ての課題になっています。どうしたらできるようになるか、いつ頃できないといけないか、できないのはどうしてか・・・。お母さんたちは悩みます。

IMG_0524s

私は、「そんなに貸さないといけないものか?」と疑問に思っています。人間の基礎を形成する幼児期に、そんなにも大きな問題でしょうか。

そもそも、「おもちゃの貸し借り」が、まるで食育や体づくりと同じくらい重要であるかのようになったのは、私は、ひとつには、育児雑誌のあおりがあると思います。もしかしたら、幼稚園などでは大きな課題のひとつかもしれません。でも、親が公園や自宅でこんなにピリピリとしないといけないくらいのことでしょうか。

貸し借りができるとかできないとかの前に、何かお気に入りのものがあって、買ってもらったばかりだとしたら、誰にも貸したくない、自分ひとりで遊びたいと思うのは、ごく当たり前の気持ちではないでしょうか。お友だちには見せたいけど、使って欲しくはない。私だって、新しいお気に入りのバッグを買ったら、「見て見て!」と言うけれど、それで「素敵ね、ちょっと貸して。」と言われたら嫌です。「貸すのがイヤなら見せちゃダメ。」というのもおかしいと思います。だって、私のものだもの。

子どもたちはごく当たり前に、そういうことをやっているに過ぎないのではないでしょうか。

それなのに、自分が十分に満足いくまで自慢したりたっぷり遊んだり独り占めしたりして、所有欲を満たす前に、人に見せたが最後、すぐに「ほら、貸してあげなさい。」と親から言われる。それって、子どもたちからしたらショックではないかなぁ・・・。

独り占めしたくて意地悪することだって、人間だからあるかもしれません。そうしたら、誰かが泣くかもしれません。大好きなお友だちが泣いたことで、バツの悪い思いが残るかもしれません。いつか仕返しをされるかもしれません。独り占めの気持ちをやりたいだけやったあと、嫌々貸してあげたら、思いのほか、暖かいものが心に広がるのを不思議に感じるかもしれません。

それらを全部、子どもたちの間で自然に味わわせてあげることは、そんなにダメでしょうか。本当に、こんなにも大人の介入が必要なほど、自然に貸せるようにはならないものでしょうか。

「そのままにしておいて、ずっと意地悪なまま、ずっと貸せないままだったら・・・?」という不安が残るかもしれませんね。

ずっとそのままだったらどうなるのか、それも、子ども自身に体験させてはいけないでしょうか。もしかしたら、その強情が良い方へ働いて、リーダーシップのある子に育つかもしれません。貸した方が気分がいいな、ということを自ら発見するかもしれません。あるとき急に自ら貸してあげるようになるかもしれません。

そんなの、子どもそれぞれ、どうなるか分からない。どうなるか分からない成長の側に寄り添うのが親の役目ではないでしょうか。もし、そのことが大きな問題になって、本人が苦しむようなら、そのときにまた考えては遅いでしょうか。

当たり前の自分の欲望が満たされる前に、自己犠牲が先に教育されるのは、果たして本当に子どもの思いやりを育てることができるのか、私は疑問です。

私は、自分の持っていた飴を、心から「この子に食べて欲しいな。」と思ってあげた日のことをとてもよく覚えています。喜んだ友だちの様子を見て、本当に嬉しかったことも覚えています。お母さんとお風呂に入りながら、「お友だちに飴をあげたの。そのとき、私も欲しかったけど、友だちが食べて喜ぶ方が嬉しいと思ったから、私はお腹がいっぱいだと嘘をついたの。嘘をついたけど、なぜか、気分が良かったの。」と話したことを覚えています。自分がおりこうだったとか、誉められようとか、そんなことは少しも考えず、「お友だちが美味しそうに食べる姿が、私にはとっても嬉しかった。」ということを、お母さんに伝えたいと思ったことをよく覚えています。人の行動が自分に喜びを与えると知ったことが、とても衝撃的だったからだと思います。

だからといって、いつもいつも、どんなときも自己犠牲を払って他人を優先することはありません。時と場合によります。でも、心から人のことを思って分け与えるときは、自分の喜びでしかないことはその時から変わりません。それは、人から誉められるとか相手が感謝するとかとは別な次元の思いです。自分の中に、釈然としない思いを抱えながら与えるときは、「ありがとうとも言わない。」という不満が発生することもあります。そういうときは、自分にやましい思いがあるときだとあとから気づきます。

自分が満たされているときは、自然と、他人に分け与えることが喜びに変わりますが、私は常にその状態にあるとは言えません。

皆さんは、どうでしょうか。