宿題やらなくていいの・・・?

学校の宿題をきちんとやることと、将来の学力とはあまり関係がありません。ましてや、「仕事ができる人」「起業する人」「専門職に就く人」「技術を身につける人」など、簡単に言うと「食っていける人」になることとは全然関係ありません。

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えぇ・・・っ。
宿題って、ちゃんとやらないといけないんじゃないの??書き取りしなかったら漢字が書けなくなるでしょう??

そう思いますよね。あるお母さんとわたしのLINEのやり取りを公開します。

本当にそうなのか

正直、毎日メルマガを読む度に混乱しています。

「宿題は無駄」「書き取りは要らない」「宿題と学力は関係ない」

本当にそうなのか。なぜ、そう言い切れるのか、よくわからないというのが率直な意見です。

賛成も反対も出来ない自分がいます。
情けない、不甲斐ないです。でも、すぐに答えも見つかりそうにありません。

学力をつけよう、または定着させようと思って、教師は宿題を出しますよね?(そのつもりで、私は小学校教員時代に宿題を出していましたし、ほとんどの親がそう信じていると思います。)

私自身が子どものときは、宿題の書き取りを1ページに30分かけて取り組み、2年間でほとんど教科書体そっくりの字を書くことができるようになり、そのために辞書をひいて新しい熟語を学ぶこともできました。
あの時間は、私にとって「学力」の定着のためになりましたし、いかに美しく心を込めて書くかという取り組みは、自分を客観的に見たり、より良くするためにどうするかを考えるという点で、その後に生きるものになったと思っています。

そして、それが途方もなく楽しく、自分の自信を高めた経験にもなったのです。だから、宿題が学力や生きる力に無関係だと言われると、私の中の当時の私が泣きそうになります(笑)

いま考え直して思うことは、宿題の意義や目的は2つあって、1つは学力の定着。もう1つは、宿題をやるにあたって漏れなくついてくる副産物のようなものの獲得(うまく言えません)だと考えます。

ついてくるオマケのようなもの…たとえば「時間の使い方がうまくなること」であったり、「同じ問題に取り組む親子の時間が設けられること」、「決められたことを決められた期日までに終わらせる責任感をつけること」 そんなことです。むしろ、後者のほうが「生きる力」をつけるために必要でしょうね。
そうなると、宿題の内容が教科書やドリルでなくてもいい、という意味は頷けます。(そういう意味ではないのかもしれませんが。)

私が教室にいたのはわずか数年間ですが、宿題をしっかりやっていたかどうかと、学力は比例していました。
また、宿題をしっかりやっていることと、係や掃除の仕事を真面目に取り組むことも比例していたように思います。

ただ、宿題をやっていたからと言って、その子が柔軟に考えて行動できるかと言えばそうでもなく、みんなの意見を尊重しながら自分の意見も言える子だとも限らないかな、とも思います。

「なんのために勉強するのか」「宿題の意義は何か」ついでに「やる気を出すために必要なもの」
これが、今の私の考えている課題です。
今後が気になります。

「生きる力をつけたい」これは、教員になった理由でもあり、我が子に思うことでもあります。世の中すべての子どもたちに思うことでもあります。
非常に興味深く、そして朝から1日じゅう悩まされております(笑)

 なるほど、小学校教師のお母さんなのですね。そして、ご自身もきちんと宿題をされていたのですね。

ひとつ、誤解のないように申し上げておくと、「宿題なんか無駄。やらなくていい。」ということではありません。

以下、ピンク文字がわたし、グリーンがこのお母さんです。

今のお考えをベースとして、「もし、我が子がまったく違うタイプ(書き取りだいっきらいで、どんな工夫をしてもやる気が起こらず、実際にやらず、先生に怒られても平気。何とかやらずに行く方法をいつも探している。それより何より外で遊びたい、帰ったらすぐ寝る)だったらどう思うか、ということを考えてみて、お返事をもらえませんか。

「どうするか」ではなく、「どう感じるか」です。

難しい問いなので、正直なところ「1日では答えられないや~」なのですが、今の精一杯の考えを答えさせていただきます。

何も書き取りをしようとしない、その理由が2つに分かれそうなので、2つに分けて考えさせてもらいました。

1つ目
知的好奇心や日常生活の送り方や他の教科の習熟度に問題がなく、覚えたいと思っていたけど何回やってみても覚えられない、そのために嫌になってしまい諦め切っているというタイプ。

これは、LDにあたるものかもしれないので、その時の感情としては「ん?この子もしかしたらLD?」って思います。「おー、これはこれから大変だぞ。」って思います。焦りますが、反面落ち着きもします。

ちなみに、その場合は専門機関や担任の先生の見解と協力を得て、今後の不自由をできるだけ取り払うために、ゆっくりでもいいから覚えていける方法を探すと思います。
高3で小3レベルだともしても、字を書く、読むという事ができないことは、生活する上で不自由を感じることだと思うからです。

2つ目
覚えられる能力はあるのに、やる気が出ない、面白みや目的も持てないタイプ。

この場合は、「なんでやろうとしないの?」とガッカリするかなぁ…少なくとも「困ったな」って感じると思います。ため息が出るような気分になると思います。それと、本人の苦しみに同情するかもしれません。「毎日、苦痛でつらいよね」と。

(先生が求めていらっしゃる答えではないと思います。ごめんなさい。)

そのあと「どこでこの子はやりたくなくなったんだ?」「なにが嫌なんだ?」って疑問が出てきて、本人に聞いてみる。

人が悔しくないときというのは、本人の興味もなく自信もないときですので、興味がない理由と自信をなくした理由を探ります。


やっぱり、書き取り?というか文字を覚えることは大切だと私は思うので、「書き取り」という方法でないにしても「読める&書ける」というところにはもっていきたい、という考えです。漢字と読み方を結べればいいクイズ形式にするとかにして、学びやすいやり方を考えます。。

やる気が出ない理由には、
知的好奇心の構築(へぇー!!と思える心)がなく、
賢さへの憧れ(知ってる・できるって何かカッコイイ!と思える心)もなく、
自分への自信(やったら自分だってできるはず!と思える心)もない、ということがあると考えています。(今時点で)

ですので、「どれが欠如してるんだろ、私は何を間違ってきたんだろ。これから、どうしたらいいんだろ」と考えます。

それでもそれでも、何もしないのであれば、、、
文字を読み書きしなくても済む世界を子どもと一緒に考えようと思います。

「読み書きできなくていい」という選択をした本人を尊重しつつ、その判断の責任は本人に持たせます。

では、お子さんが、「宿題をやらない」タイプだったとして、大人になったとき、「大好きな外遊びが高じて、散策をテーマにしたエッセイを書く人」になったとしたら、そのことについてどう思いますか?

要するに、自分では思いもよらない、別な道を通って、まさかの文筆家になる、ということはあり得ないと思うか、ってことです。
答えは求めてないから大丈夫です。どう感じるか、感情を聞きたいんです。

先生、すみません。感情だけ答えるのが難しいです。
なぜなら、佳織先生の質問から「まさかの道を通って、まさかの人になることもあります」というメッセージを読み取ってしまうので。
どうしてかって、「すでにエッセイストになった」として、どう思うか?という過去形で書かれてるから、「そういう人生の形もあるんですよ」と言われてるのと同じで、、

そこから、感情だけ答えるの、難しいです。ごめんなさい。わからないです。

でも、仮に「エッセイストになりたい」という段階で考えてみると…

「ふーん」「意外なとこを行ったね」「でも、やりたいならやったら?」って好意的に感じると思います。

「宿題やらなくて悩まされたけど、案外あの子大丈夫なのかもしれないね(笑)」って夫と話をするんじゃないかと思います。

そうそう、「まさかの道」、そう言いたかったんです。「それって想像できる?」って聞きたかったんです。

最初に頂いたメッセージ、わたしが通った考えと同じで、その頃は「まさかの道」があるっていうことを思いもしなかったので。そのときに「まさかの道」を提示されたら、なんて感じたかなぁ、と。

「まさかの道」は、もともと有り得ると思っていました。宿題やったからと言って、100点のテストしか取らないからと言って、そのあとの人生が生き生きとするとも限らないってことも、思っていました。

けれど、宿題と学力は無関係か、そこまで言っちゃっていいものか、と考えていました。

昨日も考えていたら、先生の言葉の意味が「なるほど」と納得できるところまで来ました。

「生きる力」がバッグだとすると、「宿題」はバッグチャームみたいなものなんじゃないか、と解釈してます。
必要なのは「生きる力」(バッグ)のほうで、「学力や宿題」(バッグチャーム)は生きるための必要最低条件にはならない、という感じ。

バッグチャームがあればあるほど、バッグが大きくなるわけでもないけれど、バッグチャームを獲得(しようと)するうちに、バッグが欲しくなっていったりバッグの必要性を感じて、そっちに向かっていくこともある。

こんな感じ。もうちょっと上手い例えができそうですが(笑)

これ、メチャクチャ考えるの楽しいです!今後のライン内容も楽しみに読ませていただきます。

 バッグとバッグチャームのたとえ、そうですね。わたしが言いたいのは、「ものごとの本質は"宿題をやる"ということではない」ということです。

 このお母さんとのやり取りで、わたしは何ひとつ「こうです」ということは言っていません。ご自身が考えを深められ、このバッグチャームまで行き着かれたわけです。

とはいえ、このままではモヤモヤしっぱなしでしょうから、少し補足します。

書き取りは必要か

まず、「書き取りは必要なのか」について。

今、小学校の宿題では「書き取り一日◯ページ」というのが宿題のスタンダードとなっています。これがいちばんの問題だと思います。(うちは違うよ、っていう方がいらっしゃったら教えてください)日本全国、全員が取り組み、例外がほとんどない。これでは、我が子が例外に当てはまったとき、親がアタフタ、イライラ、不安になるのは当然だと思うんです。

別の小学校の先生からのご意見を引用します。

書き取りを毎日書くという宿題が浜松市では王道ですね。

書き取りで漢字を覚えられた長男、たくさん書いても覚えられない次男…やっぱり人によって違います。

 この方は、ご自身が「同じ親の子で、同じように接しても子によって効き目が違う」ということが分かっていらっしゃいます。このような先生がどのくらいいらっしゃるか、ということなんです。

「漢字を覚える」という目的に照らし合わせたときには、書き取りに効き目がある子とない子がいる。日本全国で考えたら当たり前の話です。それなのに、そのことを理解して出している先生はたぶん、ものすごく限られています。ましてや、出された側の親は我が子しか知りませんから、「学校が出している以上、学力のために必須なのだ」と思うのは当たり前だと思います。

けれど、万能ではない。効き目のない子もいるし、苦痛な子もいる。これは事実です。

効き目のある子について、わたしがたくさんの生徒を見てきて思うことを言います。書き取りが好きで、きちんと出されたものをこなし、識字として身につけていく子は・・・、おそらく、宿題として書き取りしなくても身に付きます(笑)。見ていると、誰にも強制されずに「この漢字なに?これ、漢字で書くと何?」と聞いてくる子、とにかく「字を書くこと」が好きな子、読書量が半端ない子など、「あなたは元々、書くことに興味があるでしょうね。」という子がほとんどなんです。

じゃあ、そうではない子はダメなのか。字が読めなくなるのか。書けなくなるのか。

これもイコールとは言えません。別なやり方でいつの間にか書けるようになっている子もいます。あんなに宿題やってなかったのに。特に男の子に多いです。急にモチベーションが上がって、漢字検定などに取り組み、あっという間に「かつてのサボり」を挽回してしまう子。何人も見てきました。

ものすごい読書家になり、言葉の使い方がすごく上手になる子もいます。大人になって、SNSやブログで素敵な文章で、人を惹き付けている人もいます。

そして、わたしのFacebookの記事にこんなコメントをくれた方がいました。

小心物の私は書き取りやってたと思います。
あいかわらず、字は汚いし,漢字も書けないまま大人になりましたが(笑)。「大人になったころにはコンピューター全盛で手で字を書くこともないだろう」なんて勝手な事を考えていました。まぁ、それは半分そうなってるわけですが、誤変換に気が付きにくいですけど。

 今、わたしは大量に文章を書きます。文章がそのまま仕事になっているものもあります。年々、漢字は書けなくなってますが、困ったことはありません。なぜなら、「ほとんど全部、パソコンでタイプしているから」です。また、分からなかったら調べる手段はいくらでもあります。校正してもらうと、間違いもいくつか見つかりますが、ほとんどの場合は誤変換が原因だし、「魅力的な文章を書く」という最終目的に比べたら、1つや2つの誤字は大きな問題ではありません。

書き取りは、やっていたかどうか、正直、あんまり記憶にないのですが、字を書くことが好きだったので、たぶんやっていたのではないかと思います。「字の美しさ」はわたしにとって、とても大事なことでした。さまざまなモチベーションにも繋がったし、教養のひとつとして役立ったことは数知れずあります。ですが、書き取りが自分の人生や仕事を左右したかどうかというと、全然関係ないと思います。

親と子どもは違う

そして、これが大事なことなんですけど。わたしにとっては、書き取り(字の美しさ)は大事だったけれども、「生きる力」のあるすべての人に重要だったとは限らない、ということです。そんなの当たり前じゃん、と思われるかもしれませんが、これは、本当に多くの子を見てきたからこそ、実感として腑に落ち、低学年で早速宿題をやらない子であろうと、将来を悲観するようなことはなく、「違う道で花開くということだろう」と心から信じることができているのです。これを、我が子しか育てていないご両親が納得するのはたいへん難しいと思います。自分と違う場合に、本当に信じることができるか、ってことです。

わたしの予測ですけど、今後、さらに「識字力は書き取りではない手段で身に付くのではないか」という議論が進むと思います。

日本の識字問題

先日、こんな記事が発表されました。

news.yahoo.co.jp

 こちらの方が、よほど大きな問題ではないかと思います。日本全国、ほとんど全員が書き取りに取り組んでいるのに、中学3年生の約15%は基礎的読解力が不足しているということは、今後、「別な方法」が取られる可能性はとても高いのではないかと思います。

 こんな本があります。人の認知特性には視覚優位、聴覚優位、言語優位の3つのパターンがあるというのです。わたしがテストを受けてみたところ、ぶっちぎりで「三次元の視覚優位」ということが分かりました。自分では言語優位だと思っていたのに、なんと、社会生活に支障をきたすレベルで低かったのです!

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

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でも、よくよく考えてみると、確かに、わたしの記憶は映像化されているんですね。思い出すときは映像を巻き戻します。皆さんはどうですか? 

 極端に言うと、視覚優位で「見れば覚える」というタイプの子の場合、書き取りという行為が挟まることによって、かえって効率が悪くなる可能性もあるのではないかと思うのです。

 この本を読むと、九九が言えないことと数学の出来にも関係がないことが分かります。言えなくても覚えている可能性はあります。実際、わたしの長男が九九が言えずに苦労していました。ですが、算数は得意で、難しい問題はじーーーっとひたすら見ていたかと思うと、急にポンと答えを書くのです。「なぜ、途中の式を書かないの?」と聞くと、「見れば答えが出てくる。」という言い方をしていました。

必死で宿題をやらせる理由

わたしが接してきた多くのお母さんは、子どもに宿題をやらせるのに必死です。「やらない」なんてことになったら、それが大きな悩みの種になってしまいます。しかも、ただ「やる」だけではなく、「学校から帰ったら、遊びに行く前にまず宿題をやってから」ということに、なぜかものすごく大きな使命感を感じて遂行しているように見えます。

なぜでしょうか。わたしの推論はこうです。

「学校から帰って、まず宿題をやらせて、忘れ物のないように準備させる」ということが、母として、子育てとして、「ちゃんとやっている」という充実感や達成感が大きく、漠然とした不安を具体的に払拭できる行動だからではないか、と思います。

そして、そこには「やらないと漢字が書けなくなる」「やらないと計算ができなくなる」という一般的な正論が、モチベーション維持と必然性の証明に一役買っており、「やらなくても大丈夫」なんて、本当は聞きたくないのではないかと思うのです。

宿題と生きる力

もし、あなたが「生きる力」を持った子どもに育てたかったら、宿題はやらせないでください。いえ、ちょっと言い方が違いました。

自分でやらせてください。

宿題は、こんなプロセスで出されます。

  1. 提示される
  2. 計画する、思い出す
  3. 実行する
  4. 提出する
  5. 評価される(→修正のため、1.に戻り、以下くりかえし)

・・・何か気づきませんか?

 

これ、わたしも明日4番をやります。ある会社から依頼された仕事です。この1週間、少しずつ進めました。たぶん、間に合います。100点かどうかは分かりません。というか、100点である必要はありません。もし、わたしの提出したものが20点だったら、最初からわたしに依頼は来ません。でも、60点でも大丈夫です。少しずつ相手の要求に応えるにはどうしたらいいか、コミュニケーションの方がずっと大事です。「これがわたしの考える100点です。どこが悪いっていうんですか?!わたしは間違ってません!ちゃんとやりました!!」・・・たぶん、次から仕事きません。

えーと・・・、言うまでもありませんが、2番と3番は自分で時間をやりくりしてやりました。お母さんからやらされてません(笑)。遊ぶ前に終えてません(笑)。遊びや生活の中で上手にやりました。

若かりし頃のわたしは、大失敗を繰り返しました。

仕事での大失敗は、書きたくないほど心の傷になってるので、ここでさらすのは勘弁してください。宿題の失敗は数知れず。いつも夏休みの最終日は徹夜。今でも覚えているのは、卒論。清書を甘く見ていたわたしは、「3日間、文字を書き続けたら手が動かなくなること」も「ワープロのインクが無くなったら夜中に売ってるところはないこと」も、初めて経験して泣きましたね(笑)。

今、・・・というか、ここ20年くらい、締め切りを飛ばしたことはありません。だいたい、納期の1〜2週間前を目指して仕事は仕上げます。言うまでもなく、学校の宿題は関係ありません。内容は関係ありませんが、プロセスはおおいに関係しています。特に失敗が活きています。

もう一度、言います。

お子さんに生きる力を付けさせたかったら、宿題は自分でやらせてください

失敗しても途中でもなんでも、そのままの自分と向き合わせ、18才で「自分で考えて自分で計画し、自分で実行する」という力が付いているようにしてください。

学力とは関係ない

多くの子どもたちの行く末を見てきた結果、宿題をきちんとやることと学力には直接の関係がないことは明らかです。だって、実際そうでしたもん。

宿題をきちんとやってた→学力が高い
宿題をきちんとやってた→学力が低い
宿題をやってなかった→学力が高い
宿題をやってなかった→学力が低い

どのタイプもいます。ほんとです。あなたのお子さんがどのタイプか、分からないのです。だから、自分でやらせたら学力が低下する、ということをやみくもに怖れる必要はありません。

ですが、上記の1.〜5.のプロセスを何度も体験した子は、少しずつ上手になっていく。これは確実な力となります。

ほったらかし?

だからといって、放置しておくのとも違います。LINEでいくつか提示したとおり、モチベーションや知的好奇心について、環境を整えて「取り組む姿勢」を作っておくなど、親にできるサポートはいくらでもあります。ただ、直接的ではありませんから、信念が必要です。

あるお母さんが、こんなことを言っていました。

子どもに自分でやらせようと思っているのに、通りすがりに「宿題やったの?」など、まるで口癖のように言ってしまっています。

これ、「任せる」とはどういうことか、ミューレバザール(→詳しくはこちら)を経験したあとに、しみじみとお母さんが漏らしたセリフです。

簡単ではありません。相当な覚悟と根気が要ります。ひょっとしたら、周りの目や先生の冷たいコメントに泣かされるかもしれませんね。

やるかやらないかは、自分で選べます。でも、子どもが18才になったとき、すべての勉学についての悩みから解放されたご自身の姿を想像してください。そのときにまだ「受験勉強やったの?落ちてもいいの?!遊びに行く前にやりなさい!」って言っていたくないでしょ?

 

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