子育てでいちばんよく使う言葉(9)

ニュートラル」について、教室での体験をご紹介します☘

わたしの教室は、ほとんどの子が4才以下から通っていますので、社会性が身に付く前から接しています

が、
ときどき、5才以上で入会して来る子がいます

すると、私にあらゆるテストを施します

優等生ほどそうです

「この先生は何を良しとするのか」

を探ろうとするんですね

でも
わたしはずっとニュートラルなので、先生の評価ポイントを発見できず、最初は戸惑います

苛立つ子もいます

わたしが新しく出会った子どもに対して、なぜ、ニュートラルに接するかというと、指導を施す前に、

「あなたには良い面も悪い面もあるでしょう

まだ未熟な子どもだからね

良い心のときもあれば負の気持ちを抱くこともあるでしょう

人間だからね

先生は、どうであっても起きたことに対応するだけだし、誉めても叱ってもあなたを受け入れるという気持ちは変わらないよ」

というメッセージを伝えたいからです🌸

 

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あれこれやっても先生は変わらないということを理解すると、赤ちゃんのようにツルンと一皮むけたような本来の顔になり、探ることはなくなります

「この先生は、善し悪しで自分を判定しない」

ということが分かるからでしょう

そこから先はわたしのことなんか気にせずに、感じるままに音楽を表現して、恥ずかしがらなくなるし、失敗を恐れなくなります

わたしは、先生としての在り方は
「何者でもなくなる」
ということではないかと思っています

親の在り方も目指すところはそこかもしれません

なかなかその域には行けませんが


高学年になると、子ども自身が「ミューレ(教室の名前)は素のままでいられる」と言います

子どもがそのことを自覚しているのは驚きだと思いませんか?

つい先日は、「◯◯ちゃんは△△なんだね」と言ったら、

「うん。
でも、学校では違うの。
ちーんってしてるの」って
小学校1年生の子が言いました

小1で既に、素の自分とそうでない自分を自覚しているということです

 

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こんなおたよりをいただきました☘


✉️ニュートラルなそうなの。って思っている以上に難しいけれど、それを知ったか知らなかったかでは全然違う子育てになりそうですね。

✏️無条件に子どもの存在そのものを認め、子ども自身も認められていると実感することは、その先のあらゆる教育の基礎となります

親が持たせてやれる、自立のためのもっとも大切な手荷物ではないでしょうか

「そうなの」という言葉そのものに固執するのではなく、評価を加えずに「どんなあなたも受け入れる」という土台をはっきりと自覚し、子どもにもそれを伝える

それができていれば、何をやってもいいんです

ニュートラルな「そうなの」を、なぜ、わたしが多用するか

それは、子どもに対する自分の基準をリセットするためです

それだけ自分が未熟だからです

無意識の思い込みや、色眼鏡や、妄想や期待や落胆や、そういうものを退治するためです

いつも瞬時にものごとを判定するほど人間が仕上がっていない

だからせめて、ニュートラルに子どもを観察するんですね