お金のこと教えて!

LINEでお金のことを聞いてみました。皆さんから、とっても面白いコメントが集まりましたのでご紹介します。

 

お金はただの道具で、購入するモノが本当に必要か、それだけの価値があるかを見極めてから購入するようにしています。 

自分や人のためにやくだてるもの  

少なすぎず多すぎず、
「普段の暮らしを維持でき、少しの余裕がある」
程度が必要だと思っています。

心とカラダが喜ぶ物事やお祝い事への出費は惜しまず、計画的に貯めて必要な時にはガツンと使う。
散財はしてほしくないですが、倹約だけでは楽しくないので、、。

お金はなくてはならないものですが、人それぞれ必要な量は違うと思います。
子どもにも、心豊かに生きられるお金への付き合い方をしてほしいと思います。

お金はまわりもので
必要なだけ自分のまわりを通過していく感じを
感じています❗

おごったりおごられたり
臨時収入も必要なときに必要な量がはいったりしてきました


しかし未来的に見れば
私だけでなく子供たちの分として必要な額というのがあるかなぁと思うとそんな考えだと どんぶり勘定すぎるのかなぁと

先生の今後のお話に興味しんしんです

他人に迷惑をかけなければ
汚くなく
間違ってなく
お金儲けして
お金持ちになる
それはOK 。

ただ、感謝してお金を受け取れる人になってほしいです。

お小遣いの範囲内で出来るように工面したり、

大人になったら、貯金したり、
普通だと思っていました。

金銭感覚は普通でいいので。

私が普通だと思っていることが、
主人には普通じゃなかったりして、
金銭感覚が違い、沢山主人とは、ケンカしました。

心の中で、金銭感覚は、主人に似ないで欲しいと思ってしまっています。

お金のこと。むずかしいです。

だから、ここで、お金の話が出て、良かったです。

お金の話も聞いてみたいです。

お金がなければ生きていけないもの。
だからお金儲けすることは頑張った証だと思う。ただ、ギャンブルや博打などで得たお金は間違ったお金だし、それで生計を立てているならいつも崖っぷちにいる不安定だと思います。
子どもにお金について話をしようと思っていた時期が少しまえにあって子どもにお金の大切さや使い方、えかたを教えるのは難しいと感じました。
ぜひ、佳織先生の意見を聞きたいです。

 

お金の話って難しいですよね。

ご意見の中で、すごく心に残ったものがありました。

入園の不安とんでけ!

「入園の不安とんでけ!ランチレッスン」を開催しました。

  • 園生活のスタートにあたり
  • 園の選び方
  • うちの子、ダメ出しされたら?
  • 覚悟を決めておく
  • 行きたくないって言ったら?

この5つについて、お話させていただきました。

f:id:ikiru-oyanokai:20171208210111j:plain

参加されたお母さまから感想をいただきました。

 

かおり先生

 

今日はありがとうございました。
帰りのバスの時間が迫っており、きちんとご挨拶もせず帰ってしまって大変失礼いたしました。

 

かおり先生のお話で、「迷って私に相談しにくる人は、もう自分の中に答えを持っている」「1番子どもを見ている自分を信じて大丈夫」という言葉がとても印象に残っています。

 

自分のことなら迷うことはあれどひとりで決断できるのに我が子のこととなると揺れてしまうことが多い私でしたが、本当はもう答えはちゃんと出ていて、あとは誰かに「大丈夫」と言って欲しかったんでしょうね。
かおり先生の言葉がぐっときて、涙が出そうになりました。

 

ありがとうございました!

 

先輩ママさんとお話できたこともとても心強かったです。
たくさんお話しして、自分の中で絡まっていたものが解けていった気がします。

 

ここのところイライラして娘に怒ってばかりになってしまっていましたが、そんな自分を反省する良い機会にもなりました。

 

娘の気持ちに寄り添いながら毎日たのしんで子育てをしていこうと改めて思いました。

 

とはいえ日々の中でまた見失うこともあると思いますので、またかおり先生のお話を聞いてハッとさせられる機会をいただけたらと思います。
ミューレに通うことはなかなか難しい現状ですが(幼稚園入園の頃には車に乗って通えるようになっていることを目指しています♡)、今後もこうしてイベントなどに参加させていただきたいなと思っています。

 

今日は本当にありがとうございました!

 

伝えたいことがそのまま伝わっていて、とても嬉しかったです。

 

お話は録画・録音していたのですが、子どもたちの元気な声にかき消され、しかも、下から撮っていて、わたしの二重あごをずっとお見せするのも心苦しかったので、テキストにまとめました。とても読みやすい18ページのレポートです。

こちらからお求めいただけますので、ぜひ、くじけそうになったら何度も読んでみてください。

 

oyanokai.thebase.in

 

こちらは、レポートPDFを読んでくださった方からの感想です。9月に催した「語る会(CD発売中!)」にもお越しくださいました。

2月に引っ越しがあり、あわただしいなか幼稚園生活が始まり、1学期は自分を見失っていました。

 

他の子と比べないなんて当たり前だと思っていたのに、比べてしまい、私のしつけがいけないからうちの子はできないんだ❗️と思い込み、子供にプレッシャーをかけて、やることやらせる方にだけ気持ちがいっていた時期がありました。

 

1学期に私の考えていたしつけなんて、付け焼き刃にもなってない考えのあさーいものでした。反省。。。

 

先生からのおたよりや、生きるちからをつける親の会を読んで励まされ、だいぶマインドが変わった気がします。
マインドが変わるってちょっとしたことでも、人生が変わるような大きなものですよね。すごいことだとおもいます。


とにかくよかったことは、こどもにキレたり、感情のままに怒鳴りつけることが激減しました。
生きるちからをつける親の会オフ会で、怒りという感情を否定する必要はないというはなしを聞いたことが大きいと思います。

 

いつも本当にありがとうございます。

じーん(T_T)・・・・。

わたしの望みは、いつでも、ご自身が「変わった!わたし、すてき」と自覚することです。いつも応援しています。 

子どもとスマホ 〜親としてどうするか〜 アンケート結果

2017年11月23日、【子どもとスマホ 〜親としてどうするか〜】を開催しました。おかげさまで満席で、みなさんがたいへん熱心に耳を傾けてくださいました。参加された方のアンケート結果を報告します。


 

 

f:id:ikiru-oyanokai:20171126131738p:plain

●「あった」とお答えの方、それはどんなことですか?

 

・ライブ生動画のこと。答えは自分で考える、決めるということ

 

・カップル動画とかダッシュボタンなど、世の中や子どもたちに現実的に迫っている問題というのが予想以上にたくさんあった。第4次経済成長。

 

・佳織先生の「スマホを持つことは決まっている」という言葉にハッとしました。たしかに自分が与えるかどうかに関係なく、使う日が来るのは確実だと思いました。

 

・子どもがYouTubeを使っているのは同意したことになる。13才未満は使ってはいけないという規約があることなど。

 

・IoTの話。ミクチャ、ツイキャスの実際

 

・「わたし、ミクチャとかツイキャスとか、実はツイッターも他のもちゃんと知らないかも」と思いました。

 

・「ツイキャス」等、生動画配信まで簡単にできてしまうこと

 

・今現在のネットの発達、進歩について。子どもたちが使っているネット状況について

 

・今の高校生の現状について。利用規約について。子育ての終わり、成人のときに世話を100%やめるということ。

 

・「大人と子どもの区別なし」で平等の権利、そして責任も平等。インターネットのSNSの世界ではこれを頭に入れて使用しないといけませんね。

 

Google検索、LINEぐらいしか使っていないので、心配の種もありませんでしたが、子どもたちの方がインターネットを身近に思っていて、きちんと活用していることにびっくりしました。娘が活用するまでに親として、知識を得ようと思いました。

 

・顔を知っている人だけがつながっているだけではないことはわかっていたけど、改めて世界中の人とつながっていることがわかった。

 

・何気なく撮ったものがポルノとして違法とされてしまったこと。バカな投稿をした人を探す人がいるということ。

 

・IoT、第4次産業革命、世の中びっくりするほど進化している…。ついていけない…💦

 

・佳織先生の「自立」に関する考え方

 

ミックスチャンネルの動画、将来の生活(面白かったです!)、子どもは違う世界に生きていくこと

 

・自分(親)が知ることが大事ということ。ただ制限すればいい、避ければいいということではなく、根本、子どもを分かることをしなければいけないと思いました。

 

・やりたいことがあるのが強いというのがいろんなところに効いてくるということが改めておもしろいと思った。

 

・いつかスマホを使う日は必ず来るということに気付けた。そのための準備をするというのが大事だなと。

 

・自分の時代とは違った今の子どもたちの状況、現状

 

・いろいろなことが進歩していて、便利で楽しくなっているが、子どもも同じように罰則があるということ。

 

・IoTからの第4次産業革命のところのお話。無料アプリのしくみ。

 

●感想をお聞かせください

 

・子どもと一緒に悩み考えること、夢を応援すること。本当に大切だと感じました。

 

・中高生は「こういうことがいけないということは分かっているつもりでいる」が、自分のことだと当事者意識がないという危険性が分かってよかった。自分の子も小学校低学年ころより本音トークしたい、させたいと感じた。それと、自分の時代と子どもたちが生きる時代は違うのだということを心から感じることができた、とてもよい機会だった。時間が足りない!もっと聞きたかった。

 

佳織先生の話は、最後、今から何をしたらいいのか、自分にもできることがある、考えることがあるんだと思えたし、行動に移す勇気をもらえたような気がしました。それも、子ども自身が自分の価値観で自立していく過程であることもしっかりと感じ取れました。

 

・先生方の仲の良さと人柄と笑顔に癒されました。なんかちょっと自信が付きました。時々、自分が子どもに戻ること、もう少し意識したいなと思いました。(佳織先生の「わたしもカップル動画やってただろうな」の一言にものすごく感化されました)

 

・子どもが小さいうちから聞けてよかったと思いました。難しい問題だけに、早くから考えて準備したいと思いました。

 

・いろいろ勉強になりました。子どもと一緒に考えて悩んで、その都度、話し合いながらやっていこうと思いました。

 

・特効薬とか応急処置的な考え方ではなく、マインド、特に親のそれが必要かと。どこまでの意思決定をまず親がもつべきか、考えてしまいました。中学生とスマホ、難しいです。でも、情報社会を生きていかなければならないんですよね…。

 

・ブログの写真、なんとかしようと思います。薄々思っていましたが、わたしの使い方を見直します。以前からですが、「観察」が得意ではありません。ここ十数年困ってます。突破したいです。

 

・ここだけのうわさ話、井戸端会議がネットに乗って広まってしまうということが改めて納得、怖いことだと思いました。「持たせない」選択は難しいし無理がある、子をよく観察して自分の子に応じた使い方を考えられるようにという考えはとても腑に落ちました。

 

スマホは子育てに悪い!と思っていて、なんとか避けていかなければ、でも使わせてしまう自分もいる…と悩みながら過ごしていましたが、これから使わないで生きていくことはできないんだから、どううまく使えるようになるか一緒に考えていこうというように変わりました。家族でもまた話し合って使っていこうと思います。子どもをよく観察します。

 

・自分の知らないところでどれだけ世の中のネット状況が進歩しているのか思い知らされた。結局、親がコントロールするのではなく、どんなものでも自分で考え判断できる子に育てることが大切なんだと改めて感じた。

 

・5,400円の価値が本当にあるのか悩んだ末の参加でした。NPO法人で学校などでも無料で話している人の話を、2人の大泣きしている子どもたちを夫に預けてまで聞く価値があったのか。結果はなんとも言えませんが、数日後、数年後に効果が出てくるかも?と思います。お疲れさまでした。ありがとうございました。

 

・子どもの年齢によって聞きたい内容が違うと思うので、分けてもよいのではと思いました。子どもが望んだときに「うだうだ、ぐだぐだ」言わずに渡せると思います。ありがとうございました。

 

・娘が4才のうちに聞けてよかったです。スマホ依存は皆するものだと勝手に思って、勝手に心配していました。でも、聞いて納得、他に楽しいものがある、やりたいことがある、そんなに心配しなくていいんだと。そのために、子どもたちをよく見て、好きなものを見つけて、伸ばしていきたいと思いました。ありがとうございました。

 

・ 好きなことを見つけた息子ですが、うまくできない、思い通りにならないことにとても怒れてしまいます。どんな援助ができるか試行錯誤の毎日です。とにかく観察してみることの大切さを実感しました。

 

・難しい言葉も多かったのですが、そんな自分でもITに対する意識が強くなった。それとともに、子どもにも危険なことを回避して使いこなせるようになってほしい。あっという間に時間が経っていた。

 

・ちょっと安心した。

 

・頭ではなんとなく分かっていても、そういう風に動けなかったことが、今日みたいに他者の子育ての価値観や社会の常識を聞くことで、今後の動機づけになりそうで、すっきりした。

 

・実際には監視するのは全く不可能ですね…。

やはり佳織先生の話があってよかったです!!長澤先生の話だけだと、実際どうしたらいいの???という感じでしたが、佳織先生の話で自分の中に落とせた感じがしました。実際にはなかなか難しいですけどね…。不安に思っていたことだったので、いろんなことをもう一度考え直すきっかけになりました。好きなことと夢も。参加できてよかったです。ありがとうございました。

 

・親として、子どものためだけではなく、自分の考え方、スタンスを再考させていただく貴重な機会になりました。定期的に自分(親)を見つめ直す機会を持ちたいと思います。子どもへの観察力を磨くように心がけます。

 

・これから、自分と子どもとよく話をして、考えながら使いこなせることができるようになったらいいと思いました。わたしの考えを伝えながら、子どもがどう考えているか観察していきたいと思いました。

 

・今回参加を迷っていましたが、子育てをする上でメディアリテラシーが本当に貴重なのだと思いました。スキルは誰でも身につけられますが、モラルは小さい頃からの子育て環境や親の価値観、知識、常識が関係すると思うからです。親も変化に強くなり勉強していくことが必要ですね。とても参考になりました。

 

・自動運転、おともだち家電…、わたしは「んー」と後ろ向きですが、その時代がすぐそこにきていることに、なんだか恐ろしさを感じました。

 

佳織先生、次男さんのことを「信用できない」と本人に向かって言えるのはなぜですか?「信用できない」って傷つくような言葉というイメージで。

 

→お返事します。

「信用できない」ではなく「信用していない」です。この言葉、似ているようで発する意図が全然違います。

次男の場合、わたしの信用を裏切ることを実際に起こしているわけです。その都度、真正面から向き合って話し合って解決して対策してきました。その積み重ねによって、次男とわたしは「次男自身の人生に真剣に向き合っている仲間」として、強く揺るぎない絆があります。この言葉は、「いいことも悪いことも、親として、目をそらさずに向き合ってきた。今後も、表面的な言葉ではなく、あなたが社会的責任を追って自立していくように、親としてできる限りのことをやって送り出す」という覚悟に基づいています。

わたしは、次男のことを他の子や兄や環境などに比べたり日和ったりすることなく、「次男らしい生き方」を認めて肯定してきた自信があります。そのことは、次男も分かっていると思います。「子どもを傷つけたくない」という気持ちはわたしにはみじんもありません。親として真剣だからです。ボロボロに傷つけ合ってでも向き合う覚悟だからです。

そもそも、わたしは子どものことは信用してません。我が子も生徒も。だって未熟な人間だから。甘さや弱さと戦いながら、揺れながら生きていくものだと思っています。感情を揺さぶるようなショックや誘惑に、「絶対に影響されない」とは思っていません。人間だから。だから、親や教師という役割が必要なんだと思います。わたし自身も、日々、甘さや弱さと戦いながら「自分らしい生き方」をなんとか選び取って生きています。

わたしがこのように考えるようになったのは、三男を亡くしていることがたいへん大きいと思います。どの子にも、後悔のない「自分らしい人生」を送らせてやりたい。そのためには、わたし自身が「自分らしく誇りを持って生きた」という姿を見せることだと思っています。

 

みなさま、本当にありがとうございました。このアンケートを読んでいるだけでも勉強になりますよね。

 

ikiru-oyanokai.hatenablog.com

ikiru-oyanokai.hatenablog.com

ikiru-oyanokai.hatenablog.com

ikiru-oyanokai.hatenablog.com

合唱コンクールの教育意図

高校で歌を教え始めてから7年目です。合唱コンクールの指導や審査を任せていただいて6年目。

声をかけてくださった先生から、「この学校で合唱コンクールを開きたい。その足がかりにしたいと思っています」という熱い思いを聞いたとき、「いいですね!」とは答えましたが、今、感じているような本当の教育意図はまったく理解できていなかったと思います。

簡単に思いつくこととしては、「音楽が人の心をゆたかにする」とか「声を出すことそのものが健康に良い」とか「クラス一丸となって取り組むこと」とか、「音楽の効果」や精神論などがあがると思います。

それとは別に、わたし自身が個人的に感じていることを書きたいと思います。

合唱コンクールの一番の教育効果は、わたしは「イヤでもなんでも、とにかくやるという経験ができること」だと思っています。

正直言って、わたしの合唱コンの思い出といえば、「好きでもない曲を歌わされた」とか「男子がダラダラしててイヤだった」とか、「やたら熱い子がうっとうしかった(ごめんなさい、思春期だったもので)」とか。似たような思い出の方も少なくないのではないでしょうか。

それでもなんでも、とにかく、時間になったら舞台に立ちますよね。適当でも熱くても、なんでもいいから曲が終われば出演は終了しますよね。

それこそが、まさに、人生の体験だと思うのです!!

人生は、「イヤでもやらなければならないこと」の連続です。時には、我慢に我慢を重ねて、一生懸命やらないといけない場合もあるかもしれませんが、どうしてもやる気も力も出ないときは、「時間さえやり過ごせばいずれ終わる」ことを知っていることも大切なのではないでしょうか。イヤだと主張して戦うのが必要なときもあるでしょうが、「やり過ごす」のもそれと同じくらい必要です。

合唱がなぜその経験に最適かというと、「最悪、口パクでも、参加したかのようにごまかせて大きな問題にならないから」です。

おまけとして、ものすごく嫌々だろうが、大勢で歌を歌うということは、予想外の気持ちよさや感動をちらっとでも呼び起こすことがあると思うのです。ほんの少しでも「まぁ、悪くはないな。」という気持ちが湧いたとしたら、それは「想像の段階では意味がないと思っていたことも、自分の予想外に良い結果が起こることもある」という貴重な体験です。その後の人生において、「意味がない」ことが「意味を生み出すかもしれない」、だから、まぁやっておこうか、という気持ちにつながることがあるかもしれません。それを知っているか知らないかは、大人になる要素として、とても大切なのではないでしょうか。

音楽的なことは関係なく、ただの体験だったらスポーツでも他の芸術でも良さそうですよね。合唱が最適な理由のひとつに、「全員が一斉にスタートして参加し、全員が一斉にゴールする」という点が挙げられると思います。(ここでは、よほどの例外は省かせていただいています)

また、これは何年も指導と審査をして知ったことですが、「クラス」という偶然の組み合わせの結果、奇跡的な音楽性を生み出すことがあるのです。また、いわゆる「クラス力」が直接、結果や勝敗に大きく影響します。

わたしは、シンプルに「合唱コンはクラス対抗勝負だから、つべこべ考えずに勝ちにいくんだよ」と教えています。うまいとか下手とかあんまり考えずに、「みんなで勝つぞー、オー!!」が結果を出すよ、と。作戦を立てなさい、とも教えます。本番近くに指導するときは、ピッチやリズムなどを音楽的に指導するより、作戦を立てさせてやる気を促した方が、いつの間にか音楽的に伸びていることがあることも知りました。

また、6年間教えてみて、やればやっただけ、学校全体で音楽的なレベルがいつの間にか上がっていることも知りました。これは、学校全体で「とにかく参加する」という状況を強制的に作らないと、実現することはできません。

そういうわけで、7年前は「そんなもんかな」と思った合唱コンクールでしたが、今では、全国のすべての学校で行うべきだと思っています。

ただし、教育意図や効果を正しく理解していないとおかしなことになると思います。「下手でもなんでも全員参加」と「勝敗は偶然と奇跡で決まる」ってことです。ピアノ伴奏も指揮も、公正に差をつけるべきだと思います。「がんばったから評価される」のは当たり前で、その上で技術の差を見極め、決断しなくてはいけません。なかなか辛いですが、最初から勝ち負けの大会だからと教えておけば、お互いに覚悟も決まると思いました。

以上、わたしが学ばせていただいたことです。

 

追記

 

2017年、今年も指導をさせていただきました。

一昨年、苦い思い出がありまして、ピアノ伴奏になった子が全然弾けてないクラスがありました。それでも、「全然だめじゃん、ちゃんと練習しなさい」というのは酷な気がして、何より「弾きたい」という気持ちや、クラスの子が全然責めもせずに温かく見守っている様子に感心して、一応のアドバイスはしましたが、「がんばる!!」というムードを応援していました。

そうしたら、本番の大舞台(そのときは中部地区合同でものすごい観客数、参加クラス数だったのです)で、ほとんど弾けずに終わってしまったのです。アカペラで歌い通しはしましたが、伴奏の子は号泣で崩れ落ちてしまいました。

そのとき、わたしはもっとわたしにできたことがあったんじゃないかなと、すごく反省しました。

 

今年、明らかに弾けていない子がいまして(そもそもA♭キーのすごく難しい譜面で、練習期間も短かったのです)、本番前日の時点で歌と全然合っていませんでした。

本人がヘラヘラと練習不足なのだとしたら、まぁ、それも審査対象に関わるのでしょうが、いろいろ聞いてみたら、どうもその子にはハードルが高すぎる大役らしいことが分かりました。

それで1日でできるハードルの対応策を与え、「ここまで歌と合っていないのに、ピアニストひとりの責任にして、「がんばれ、がんばれ、いいよ、いいよ」って言うのは、一見、優しさに見えて本当はすごく孤独にさせることなんだよ」と伝えました。クラスの子たちが伴奏の子に「ごめんね」と言って、抱き合って号泣していました。

今は、練習段階でピアニストにも指揮者にもけっこう厳しいことを言います。以前は、あんまり個人に負荷がかからないように、やんわり言っていましたが、個人として何らかのポジションについた以上、この先の人生においても、そのポジションを自分なりに全うしたいというプライドにきちんと対応することが指導だと考え直したからです。

もしかしたら、「坪井先生(呼び捨てかも!)、嫌なこと言う!」って悪口を言われているかもしれないけど、子どもたちが成長するなら、そんなの平気になりました。

実際には、日に日に真剣に「直すところがあったら言ってください」と言ってくるようになりました。みんな、最初に指摘されるのは嫌かもしれないけど、それによって自分が高められるってことを知るんだよね。期待されて伸ばしてもらう方が、いっときのショックよりずっと満足感が高いということも知るんだよね。

もうひとり、自分のクラスが終わってから2時間もわたしのことを待っててくれて、「生まれつきのバリトンボイスで、すごく目立ってしまうから合唱には向いてないと思うけど、思い切り歌いたい。どうしたらいいですか」と相談を受けました。

「歌は好きですか?」と聞いたら「好きです」と即答したので、だったら、と今からできることをアドバイスしました。その上で、「もしかしたら合唱では馴染みにくい声なのかもしれないけど、アカペラグループなんか入ったらものすごく重宝されるから、やってごらん。それから、自分の声に似ている歌手の歌をいっぱい聴いて、活かし方や歌い方を真似するといいと思う」と伝えました。

こうやって、混沌とした「自分って何?」という思春期に、合唱って、すごく良い気づきの場にもなると思いました。

 

わたしも、毎年、勉強させていただいて、ようやく分かることがいっぱいあります。

そんなに貸さないといけない?

子どもが小さいとき、「おもちゃの貸し借り」がとても大きな子育ての課題になっています。どうしたらできるようになるか、いつ頃できないといけないか、できないのはどうしてか・・・。お母さんたちは悩みます。

IMG_0524s

私は、「そんなに貸さないといけないものか?」と疑問に思っています。人間の基礎を形成する幼児期に、そんなにも大きな問題でしょうか。

そもそも、「おもちゃの貸し借り」が、まるで食育や体づくりと同じくらい重要であるかのようになったのは、私は、ひとつには、育児雑誌のあおりがあると思います。もしかしたら、幼稚園などでは大きな課題のひとつかもしれません。でも、親が公園や自宅でこんなにピリピリとしないといけないくらいのことでしょうか。

貸し借りができるとかできないとかの前に、何かお気に入りのものがあって、買ってもらったばかりだとしたら、誰にも貸したくない、自分ひとりで遊びたいと思うのは、ごく当たり前の気持ちではないでしょうか。お友だちには見せたいけど、使って欲しくはない。私だって、新しいお気に入りのバッグを買ったら、「見て見て!」と言うけれど、それで「素敵ね、ちょっと貸して。」と言われたら嫌です。「貸すのがイヤなら見せちゃダメ。」というのもおかしいと思います。だって、私のものだもの。

子どもたちはごく当たり前に、そういうことをやっているに過ぎないのではないでしょうか。

それなのに、自分が十分に満足いくまで自慢したりたっぷり遊んだり独り占めしたりして、所有欲を満たす前に、人に見せたが最後、すぐに「ほら、貸してあげなさい。」と親から言われる。それって、子どもたちからしたらショックではないかなぁ・・・。

独り占めしたくて意地悪することだって、人間だからあるかもしれません。そうしたら、誰かが泣くかもしれません。大好きなお友だちが泣いたことで、バツの悪い思いが残るかもしれません。いつか仕返しをされるかもしれません。独り占めの気持ちをやりたいだけやったあと、嫌々貸してあげたら、思いのほか、暖かいものが心に広がるのを不思議に感じるかもしれません。

それらを全部、子どもたちの間で自然に味わわせてあげることは、そんなにダメでしょうか。本当に、こんなにも大人の介入が必要なほど、自然に貸せるようにはならないものでしょうか。

「そのままにしておいて、ずっと意地悪なまま、ずっと貸せないままだったら・・・?」という不安が残るかもしれませんね。

ずっとそのままだったらどうなるのか、それも、子ども自身に体験させてはいけないでしょうか。もしかしたら、その強情が良い方へ働いて、リーダーシップのある子に育つかもしれません。貸した方が気分がいいな、ということを自ら発見するかもしれません。あるとき急に自ら貸してあげるようになるかもしれません。

そんなの、子どもそれぞれ、どうなるか分からない。どうなるか分からない成長の側に寄り添うのが親の役目ではないでしょうか。もし、そのことが大きな問題になって、本人が苦しむようなら、そのときにまた考えては遅いでしょうか。

当たり前の自分の欲望が満たされる前に、自己犠牲が先に教育されるのは、果たして本当に子どもの思いやりを育てることができるのか、私は疑問です。

私は、自分の持っていた飴を、心から「この子に食べて欲しいな。」と思ってあげた日のことをとてもよく覚えています。喜んだ友だちの様子を見て、本当に嬉しかったことも覚えています。お母さんとお風呂に入りながら、「お友だちに飴をあげたの。そのとき、私も欲しかったけど、友だちが食べて喜ぶ方が嬉しいと思ったから、私はお腹がいっぱいだと嘘をついたの。嘘をついたけど、なぜか、気分が良かったの。」と話したことを覚えています。自分がおりこうだったとか、誉められようとか、そんなことは少しも考えず、「お友だちが美味しそうに食べる姿が、私にはとっても嬉しかった。」ということを、お母さんに伝えたいと思ったことをよく覚えています。人の行動が自分に喜びを与えると知ったことが、とても衝撃的だったからだと思います。

だからといって、いつもいつも、どんなときも自己犠牲を払って他人を優先することはありません。時と場合によります。でも、心から人のことを思って分け与えるときは、自分の喜びでしかないことはその時から変わりません。それは、人から誉められるとか相手が感謝するとかとは別な次元の思いです。自分の中に、釈然としない思いを抱えながら与えるときは、「ありがとうとも言わない。」という不満が発生することもあります。そういうときは、自分にやましい思いがあるときだとあとから気づきます。

自分が満たされているときは、自然と、他人に分け与えることが喜びに変わりますが、私は常にその状態にあるとは言えません。

皆さんは、どうでしょうか。

宿題やらなくていいの・・・?

学校の宿題をきちんとやることと、将来の学力とはあまり関係がありません。ましてや、「仕事ができる人」「起業する人」「専門職に就く人」「技術を身につける人」など、簡単に言うと「食っていける人」になることとは全然関係ありません。

f:id:ikiru-oyanokai:20171106022704j:plain

えぇ・・・っ。
宿題って、ちゃんとやらないといけないんじゃないの??書き取りしなかったら漢字が書けなくなるでしょう??

そう思いますよね。あるお母さんとわたしのLINEのやり取りを公開します。

本当にそうなのか

正直、毎日メルマガを読む度に混乱しています。

「宿題は無駄」「書き取りは要らない」「宿題と学力は関係ない」

本当にそうなのか。なぜ、そう言い切れるのか、よくわからないというのが率直な意見です。

賛成も反対も出来ない自分がいます。
情けない、不甲斐ないです。でも、すぐに答えも見つかりそうにありません。

学力をつけよう、または定着させようと思って、教師は宿題を出しますよね?(そのつもりで、私は小学校教員時代に宿題を出していましたし、ほとんどの親がそう信じていると思います。)

私自身が子どものときは、宿題の書き取りを1ページに30分かけて取り組み、2年間でほとんど教科書体そっくりの字を書くことができるようになり、そのために辞書をひいて新しい熟語を学ぶこともできました。
あの時間は、私にとって「学力」の定着のためになりましたし、いかに美しく心を込めて書くかという取り組みは、自分を客観的に見たり、より良くするためにどうするかを考えるという点で、その後に生きるものになったと思っています。

そして、それが途方もなく楽しく、自分の自信を高めた経験にもなったのです。だから、宿題が学力や生きる力に無関係だと言われると、私の中の当時の私が泣きそうになります(笑)

いま考え直して思うことは、宿題の意義や目的は2つあって、1つは学力の定着。もう1つは、宿題をやるにあたって漏れなくついてくる副産物のようなものの獲得(うまく言えません)だと考えます。

ついてくるオマケのようなもの…たとえば「時間の使い方がうまくなること」であったり、「同じ問題に取り組む親子の時間が設けられること」、「決められたことを決められた期日までに終わらせる責任感をつけること」 そんなことです。むしろ、後者のほうが「生きる力」をつけるために必要でしょうね。
そうなると、宿題の内容が教科書やドリルでなくてもいい、という意味は頷けます。(そういう意味ではないのかもしれませんが。)

私が教室にいたのはわずか数年間ですが、宿題をしっかりやっていたかどうかと、学力は比例していました。
また、宿題をしっかりやっていることと、係や掃除の仕事を真面目に取り組むことも比例していたように思います。

ただ、宿題をやっていたからと言って、その子が柔軟に考えて行動できるかと言えばそうでもなく、みんなの意見を尊重しながら自分の意見も言える子だとも限らないかな、とも思います。

「なんのために勉強するのか」「宿題の意義は何か」ついでに「やる気を出すために必要なもの」
これが、今の私の考えている課題です。
今後が気になります。

「生きる力をつけたい」これは、教員になった理由でもあり、我が子に思うことでもあります。世の中すべての子どもたちに思うことでもあります。
非常に興味深く、そして朝から1日じゅう悩まされております(笑)

 なるほど、小学校教師のお母さんなのですね。そして、ご自身もきちんと宿題をされていたのですね。

ひとつ、誤解のないように申し上げておくと、「宿題なんか無駄。やらなくていい。」ということではありません。

以下、ピンク文字がわたし、グリーンがこのお母さんです。

今のお考えをベースとして、「もし、我が子がまったく違うタイプ(書き取りだいっきらいで、どんな工夫をしてもやる気が起こらず、実際にやらず、先生に怒られても平気。何とかやらずに行く方法をいつも探している。それより何より外で遊びたい、帰ったらすぐ寝る)だったらどう思うか、ということを考えてみて、お返事をもらえませんか。

「どうするか」ではなく、「どう感じるか」です。

難しい問いなので、正直なところ「1日では答えられないや~」なのですが、今の精一杯の考えを答えさせていただきます。

何も書き取りをしようとしない、その理由が2つに分かれそうなので、2つに分けて考えさせてもらいました。

1つ目
知的好奇心や日常生活の送り方や他の教科の習熟度に問題がなく、覚えたいと思っていたけど何回やってみても覚えられない、そのために嫌になってしまい諦め切っているというタイプ。

これは、LDにあたるものかもしれないので、その時の感情としては「ん?この子もしかしたらLD?」って思います。「おー、これはこれから大変だぞ。」って思います。焦りますが、反面落ち着きもします。

ちなみに、その場合は専門機関や担任の先生の見解と協力を得て、今後の不自由をできるだけ取り払うために、ゆっくりでもいいから覚えていける方法を探すと思います。
高3で小3レベルだともしても、字を書く、読むという事ができないことは、生活する上で不自由を感じることだと思うからです。

2つ目
覚えられる能力はあるのに、やる気が出ない、面白みや目的も持てないタイプ。

この場合は、「なんでやろうとしないの?」とガッカリするかなぁ…少なくとも「困ったな」って感じると思います。ため息が出るような気分になると思います。それと、本人の苦しみに同情するかもしれません。「毎日、苦痛でつらいよね」と。

(先生が求めていらっしゃる答えではないと思います。ごめんなさい。)

そのあと「どこでこの子はやりたくなくなったんだ?」「なにが嫌なんだ?」って疑問が出てきて、本人に聞いてみる。

人が悔しくないときというのは、本人の興味もなく自信もないときですので、興味がない理由と自信をなくした理由を探ります。


やっぱり、書き取り?というか文字を覚えることは大切だと私は思うので、「書き取り」という方法でないにしても「読める&書ける」というところにはもっていきたい、という考えです。漢字と読み方を結べればいいクイズ形式にするとかにして、学びやすいやり方を考えます。。

やる気が出ない理由には、
知的好奇心の構築(へぇー!!と思える心)がなく、
賢さへの憧れ(知ってる・できるって何かカッコイイ!と思える心)もなく、
自分への自信(やったら自分だってできるはず!と思える心)もない、ということがあると考えています。(今時点で)

ですので、「どれが欠如してるんだろ、私は何を間違ってきたんだろ。これから、どうしたらいいんだろ」と考えます。

それでもそれでも、何もしないのであれば、、、
文字を読み書きしなくても済む世界を子どもと一緒に考えようと思います。

「読み書きできなくていい」という選択をした本人を尊重しつつ、その判断の責任は本人に持たせます。

では、お子さんが、「宿題をやらない」タイプだったとして、大人になったとき、「大好きな外遊びが高じて、散策をテーマにしたエッセイを書く人」になったとしたら、そのことについてどう思いますか?

要するに、自分では思いもよらない、別な道を通って、まさかの文筆家になる、ということはあり得ないと思うか、ってことです。
答えは求めてないから大丈夫です。どう感じるか、感情を聞きたいんです。

先生、すみません。感情だけ答えるのが難しいです。
なぜなら、佳織先生の質問から「まさかの道を通って、まさかの人になることもあります」というメッセージを読み取ってしまうので。
どうしてかって、「すでにエッセイストになった」として、どう思うか?という過去形で書かれてるから、「そういう人生の形もあるんですよ」と言われてるのと同じで、、

そこから、感情だけ答えるの、難しいです。ごめんなさい。わからないです。

でも、仮に「エッセイストになりたい」という段階で考えてみると…

「ふーん」「意外なとこを行ったね」「でも、やりたいならやったら?」って好意的に感じると思います。

「宿題やらなくて悩まされたけど、案外あの子大丈夫なのかもしれないね(笑)」って夫と話をするんじゃないかと思います。

そうそう、「まさかの道」、そう言いたかったんです。「それって想像できる?」って聞きたかったんです。

最初に頂いたメッセージ、わたしが通った考えと同じで、その頃は「まさかの道」があるっていうことを思いもしなかったので。そのときに「まさかの道」を提示されたら、なんて感じたかなぁ、と。

「まさかの道」は、もともと有り得ると思っていました。宿題やったからと言って、100点のテストしか取らないからと言って、そのあとの人生が生き生きとするとも限らないってことも、思っていました。

けれど、宿題と学力は無関係か、そこまで言っちゃっていいものか、と考えていました。

昨日も考えていたら、先生の言葉の意味が「なるほど」と納得できるところまで来ました。

「生きる力」がバッグだとすると、「宿題」はバッグチャームみたいなものなんじゃないか、と解釈してます。
必要なのは「生きる力」(バッグ)のほうで、「学力や宿題」(バッグチャーム)は生きるための必要最低条件にはならない、という感じ。

バッグチャームがあればあるほど、バッグが大きくなるわけでもないけれど、バッグチャームを獲得(しようと)するうちに、バッグが欲しくなっていったりバッグの必要性を感じて、そっちに向かっていくこともある。

こんな感じ。もうちょっと上手い例えができそうですが(笑)

これ、メチャクチャ考えるの楽しいです!今後のライン内容も楽しみに読ませていただきます。

 バッグとバッグチャームのたとえ、そうですね。わたしが言いたいのは、「ものごとの本質は"宿題をやる"ということではない」ということです。

 このお母さんとのやり取りで、わたしは何ひとつ「こうです」ということは言っていません。ご自身が考えを深められ、このバッグチャームまで行き着かれたわけです。

とはいえ、このままではモヤモヤしっぱなしでしょうから、少し補足します。

書き取りは必要か

まず、「書き取りは必要なのか」について。

今、小学校の宿題では「書き取り一日◯ページ」というのが宿題のスタンダードとなっています。これがいちばんの問題だと思います。(うちは違うよ、っていう方がいらっしゃったら教えてください)日本全国、全員が取り組み、例外がほとんどない。これでは、我が子が例外に当てはまったとき、親がアタフタ、イライラ、不安になるのは当然だと思うんです。

別の小学校の先生からのご意見を引用します。

書き取りを毎日書くという宿題が浜松市では王道ですね。

書き取りで漢字を覚えられた長男、たくさん書いても覚えられない次男…やっぱり人によって違います。

 この方は、ご自身が「同じ親の子で、同じように接しても子によって効き目が違う」ということが分かっていらっしゃいます。このような先生がどのくらいいらっしゃるか、ということなんです。

「漢字を覚える」という目的に照らし合わせたときには、書き取りに効き目がある子とない子がいる。日本全国で考えたら当たり前の話です。それなのに、そのことを理解して出している先生はたぶん、ものすごく限られています。ましてや、出された側の親は我が子しか知りませんから、「学校が出している以上、学力のために必須なのだ」と思うのは当たり前だと思います。

けれど、万能ではない。効き目のない子もいるし、苦痛な子もいる。これは事実です。

効き目のある子について、わたしがたくさんの生徒を見てきて思うことを言います。書き取りが好きで、きちんと出されたものをこなし、識字として身につけていく子は・・・、おそらく、宿題として書き取りしなくても身に付きます(笑)。見ていると、誰にも強制されずに「この漢字なに?これ、漢字で書くと何?」と聞いてくる子、とにかく「字を書くこと」が好きな子、読書量が半端ない子など、「あなたは元々、書くことに興味があるでしょうね。」という子がほとんどなんです。

じゃあ、そうではない子はダメなのか。字が読めなくなるのか。書けなくなるのか。

これもイコールとは言えません。別なやり方でいつの間にか書けるようになっている子もいます。あんなに宿題やってなかったのに。特に男の子に多いです。急にモチベーションが上がって、漢字検定などに取り組み、あっという間に「かつてのサボり」を挽回してしまう子。何人も見てきました。

ものすごい読書家になり、言葉の使い方がすごく上手になる子もいます。大人になって、SNSやブログで素敵な文章で、人を惹き付けている人もいます。

そして、わたしのFacebookの記事にこんなコメントをくれた方がいました。

小心物の私は書き取りやってたと思います。
あいかわらず、字は汚いし,漢字も書けないまま大人になりましたが(笑)。「大人になったころにはコンピューター全盛で手で字を書くこともないだろう」なんて勝手な事を考えていました。まぁ、それは半分そうなってるわけですが、誤変換に気が付きにくいですけど。

 今、わたしは大量に文章を書きます。文章がそのまま仕事になっているものもあります。年々、漢字は書けなくなってますが、困ったことはありません。なぜなら、「ほとんど全部、パソコンでタイプしているから」です。また、分からなかったら調べる手段はいくらでもあります。校正してもらうと、間違いもいくつか見つかりますが、ほとんどの場合は誤変換が原因だし、「魅力的な文章を書く」という最終目的に比べたら、1つや2つの誤字は大きな問題ではありません。

書き取りは、やっていたかどうか、正直、あんまり記憶にないのですが、字を書くことが好きだったので、たぶんやっていたのではないかと思います。「字の美しさ」はわたしにとって、とても大事なことでした。さまざまなモチベーションにも繋がったし、教養のひとつとして役立ったことは数知れずあります。ですが、書き取りが自分の人生や仕事を左右したかどうかというと、全然関係ないと思います。

親と子どもは違う

そして、これが大事なことなんですけど。わたしにとっては、書き取り(字の美しさ)は大事だったけれども、「生きる力」のあるすべての人に重要だったとは限らない、ということです。そんなの当たり前じゃん、と思われるかもしれませんが、これは、本当に多くの子を見てきたからこそ、実感として腑に落ち、低学年で早速宿題をやらない子であろうと、将来を悲観するようなことはなく、「違う道で花開くということだろう」と心から信じることができているのです。これを、我が子しか育てていないご両親が納得するのはたいへん難しいと思います。自分と違う場合に、本当に信じることができるか、ってことです。

わたしの予測ですけど、今後、さらに「識字力は書き取りではない手段で身に付くのではないか」という議論が進むと思います。

日本の識字問題

先日、こんな記事が発表されました。

news.yahoo.co.jp

 こちらの方が、よほど大きな問題ではないかと思います。日本全国、ほとんど全員が書き取りに取り組んでいるのに、中学3年生の約15%は基礎的読解力が不足しているということは、今後、「別な方法」が取られる可能性はとても高いのではないかと思います。

 こんな本があります。人の認知特性には視覚優位、聴覚優位、言語優位の3つのパターンがあるというのです。わたしがテストを受けてみたところ、ぶっちぎりで「三次元の視覚優位」ということが分かりました。自分では言語優位だと思っていたのに、なんと、社会生活に支障をきたすレベルで低かったのです!

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

 

でも、よくよく考えてみると、確かに、わたしの記憶は映像化されているんですね。思い出すときは映像を巻き戻します。皆さんはどうですか? 

 極端に言うと、視覚優位で「見れば覚える」というタイプの子の場合、書き取りという行為が挟まることによって、かえって効率が悪くなる可能性もあるのではないかと思うのです。

 この本を読むと、九九が言えないことと数学の出来にも関係がないことが分かります。言えなくても覚えている可能性はあります。実際、わたしの長男が九九が言えずに苦労していました。ですが、算数は得意で、難しい問題はじーーーっとひたすら見ていたかと思うと、急にポンと答えを書くのです。「なぜ、途中の式を書かないの?」と聞くと、「見れば答えが出てくる。」という言い方をしていました。

必死で宿題をやらせる理由

わたしが接してきた多くのお母さんは、子どもに宿題をやらせるのに必死です。「やらない」なんてことになったら、それが大きな悩みの種になってしまいます。しかも、ただ「やる」だけではなく、「学校から帰ったら、遊びに行く前にまず宿題をやってから」ということに、なぜかものすごく大きな使命感を感じて遂行しているように見えます。

なぜでしょうか。わたしの推論はこうです。

「学校から帰って、まず宿題をやらせて、忘れ物のないように準備させる」ということが、母として、子育てとして、「ちゃんとやっている」という充実感や達成感が大きく、漠然とした不安を具体的に払拭できる行動だからではないか、と思います。

そして、そこには「やらないと漢字が書けなくなる」「やらないと計算ができなくなる」という一般的な正論が、モチベーション維持と必然性の証明に一役買っており、「やらなくても大丈夫」なんて、本当は聞きたくないのではないかと思うのです。

宿題と生きる力

もし、あなたが「生きる力」を持った子どもに育てたかったら、宿題はやらせないでください。いえ、ちょっと言い方が違いました。

自分でやらせてください。

宿題は、こんなプロセスで出されます。

  1. 提示される
  2. 計画する、思い出す
  3. 実行する
  4. 提出する
  5. 評価される(→修正のため、1.に戻り、以下くりかえし)

・・・何か気づきませんか?

 

これ、わたしも明日4番をやります。ある会社から依頼された仕事です。この1週間、少しずつ進めました。たぶん、間に合います。100点かどうかは分かりません。というか、100点である必要はありません。もし、わたしの提出したものが20点だったら、最初からわたしに依頼は来ません。でも、60点でも大丈夫です。少しずつ相手の要求に応えるにはどうしたらいいか、コミュニケーションの方がずっと大事です。「これがわたしの考える100点です。どこが悪いっていうんですか?!わたしは間違ってません!ちゃんとやりました!!」・・・たぶん、次から仕事きません。

えーと・・・、言うまでもありませんが、2番と3番は自分で時間をやりくりしてやりました。お母さんからやらされてません(笑)。遊ぶ前に終えてません(笑)。遊びや生活の中で上手にやりました。

若かりし頃のわたしは、大失敗を繰り返しました。

仕事での大失敗は、書きたくないほど心の傷になってるので、ここでさらすのは勘弁してください。宿題の失敗は数知れず。いつも夏休みの最終日は徹夜。今でも覚えているのは、卒論。清書を甘く見ていたわたしは、「3日間、文字を書き続けたら手が動かなくなること」も「ワープロのインクが無くなったら夜中に売ってるところはないこと」も、初めて経験して泣きましたね(笑)。

今、・・・というか、ここ20年くらい、締め切りを飛ばしたことはありません。だいたい、納期の1〜2週間前を目指して仕事は仕上げます。言うまでもなく、学校の宿題は関係ありません。内容は関係ありませんが、プロセスはおおいに関係しています。特に失敗が活きています。

もう一度、言います。

お子さんに生きる力を付けさせたかったら、宿題は自分でやらせてください

失敗しても途中でもなんでも、そのままの自分と向き合わせ、18才で「自分で考えて自分で計画し、自分で実行する」という力が付いているようにしてください。

学力とは関係ない

多くの子どもたちの行く末を見てきた結果、宿題をきちんとやることと学力には直接の関係がないことは明らかです。だって、実際そうでしたもん。

宿題をきちんとやってた→学力が高い
宿題をきちんとやってた→学力が低い
宿題をやってなかった→学力が高い
宿題をやってなかった→学力が低い

どのタイプもいます。ほんとです。あなたのお子さんがどのタイプか、分からないのです。だから、自分でやらせたら学力が低下する、ということをやみくもに怖れる必要はありません。

ですが、上記の1.〜5.のプロセスを何度も体験した子は、少しずつ上手になっていく。これは確実な力となります。

ほったらかし?

だからといって、放置しておくのとも違います。LINEでいくつか提示したとおり、モチベーションや知的好奇心について、環境を整えて「取り組む姿勢」を作っておくなど、親にできるサポートはいくらでもあります。ただ、直接的ではありませんから、信念が必要です。

あるお母さんが、こんなことを言っていました。

子どもに自分でやらせようと思っているのに、通りすがりに「宿題やったの?」など、まるで口癖のように言ってしまっています。

これ、「任せる」とはどういうことか、ミューレバザール(→詳しくはこちら)を経験したあとに、しみじみとお母さんが漏らしたセリフです。

簡単ではありません。相当な覚悟と根気が要ります。ひょっとしたら、周りの目や先生の冷たいコメントに泣かされるかもしれませんね。

やるかやらないかは、自分で選べます。でも、子どもが18才になったとき、すべての勉学についての悩みから解放されたご自身の姿を想像してください。そのときにまだ「受験勉強やったの?落ちてもいいの?!遊びに行く前にやりなさい!」って言っていたくないでしょ?

 

毎日6時に配信、LINEメルマガ「生きる力をつける親の会」に登録してください。目からウロコの子育てヒントがいっぱいです。

 

友だち追加

なぜスマホの講座を企画したか

【子どもとスマホ〜親としてどうするか】お申し込みが増えてきました。ありがとうございます。皆さんが関心を持ってくださって、とても嬉しいです。昨日1日で5組のお申し込みがありました。定員は30組です。

 

あなたのお子さまも、おそらくスマホを持つことになります。(いや、分かりませんね。昨今の技術の進歩を鑑みると、スマホどころではない端末に変わっているかもしれません。だって、つい2〜3年前にはケータイを持っている子も少ないくらいだったんだから。)

スマホは小さなパソコンです。「普通に育てていたら普通に使う」という甘い考えはききません。なぜなら、そもそも「普通」なんかないものだからです。スマホは単なる箱で、「中に何を入れるか」「何に使うか」無限に拡張できます。

スマホを使ってトラブルや問題を起こす子はどんな子かご存知ですか?70%が非行歴のない、いわゆる「普通の子」だそうです。なぜかというと、「ごくごく軽い気持ち」だからです。

軽い気持ちって??

あなたが中高生の頃を思い浮かべてみてください。ごくごく軽い校則違反ってしたことがありませんか?たとえば学校にマンガを持ってきて貸し借りするとか。昭和のわたしの学生時代は、ほぼ全員が学生かばんをぺっちゃんこにつぶしてました。そのことって、自分たちは「非行」ってほどの意識はありませんでしたよね。

スマホで問題を起こす子も同じなんです。ただ道具が違うから、問題が大きくなってしまうだけです。

問題が大きいから処罰もとても厳しいです。無期停学とか。内容は、昔でいうと、当たり前に「交換日記でやっていたこと」レベルです。

 

脅かしてしまいましたが、このくらいの危機感を持っても良い状況だと思います。

 

けれど、わたしがこの講座を企画した最大の理由はこのことではありません。

わたしはiPhoneを発売当初から使っています。その前はiPod touchiPhoneの電話機能だけがないもの)を使っていました。パソコンは大学生のころから、インターネットは電話回線でピーガラガラと繋いでいた頃から利用していました。会社員のころはもちろん、今でも仕事には欠かせないし、スマホとネットがあるおかげで実現していることがいっぱいあります。

つまり、ちゃんと利用すればあらゆることが実現可能になる便利な道具になるんです。

 

あなたは、これまでも「生きる力を持った子」に育てるために、なるべく質がよく、一歩進んだ子育て、教育を考えて来られた方だと思います。

 

子どもにスマホを持たせるとき、どうせ使わせるなら、

  • 必要な情報を適切な検索ワードで探し出せる
  • 交通手段、時間、地図などを自分で調べてどこにでも行ける
  • 適切な日本語を使った文章を素早く打てる
  • 自宅のWifi環境の設定ができる
  • データ通信料や仕組を理解し、自分に適したスマホの通信プランを選べる

 積極的にこのような能力や技術、知識を持った子にしませんか?

そのためには、持たせる段階になってあれこれ制限してコントロールするような与え方ではなく、そのずっとずっと前から、ここを目指して育てる必要があります。

このおはなしをしたいので、企画しました。

 

日程:11/23(祝) PM6:00-9:00
受講費:5,400円
持ち物:筆記用具、自分の飲食物 お好きなだけ
会場:あいホール302号室

f:id:ikiru-oyanokai:20171028024058p:plain

ikiru-oyanokai.hatenablog.com