そんなに貸さないといけない?

子どもが小さいとき、「おもちゃの貸し借り」がとても大きな子育ての課題になっています。どうしたらできるようになるか、いつ頃できないといけないか、できないのはどうしてか・・・。お母さんたちは悩みます。

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私は、「そんなに貸さないといけないものか?」と疑問に思っています。人間の基礎を形成する幼児期に、そんなにも大きな問題でしょうか。

そもそも、「おもちゃの貸し借り」が、まるで食育や体づくりと同じくらい重要であるかのようになったのは、私は、ひとつには、育児雑誌のあおりがあると思います。もしかしたら、幼稚園などでは大きな課題のひとつかもしれません。でも、親が公園や自宅でこんなにピリピリとしないといけないくらいのことでしょうか。

貸し借りができるとかできないとかの前に、何かお気に入りのものがあって、買ってもらったばかりだとしたら、誰にも貸したくない、自分ひとりで遊びたいと思うのは、ごく当たり前の気持ちではないでしょうか。お友だちには見せたいけど、使って欲しくはない。私だって、新しいお気に入りのバッグを買ったら、「見て見て!」と言うけれど、それで「素敵ね、ちょっと貸して。」と言われたら嫌です。「貸すのがイヤなら見せちゃダメ。」というのもおかしいと思います。だって、私のものだもの。

子どもたちはごく当たり前に、そういうことをやっているに過ぎないのではないでしょうか。

それなのに、自分が十分に満足いくまで自慢したりたっぷり遊んだり独り占めしたりして、所有欲を満たす前に、人に見せたが最後、すぐに「ほら、貸してあげなさい。」と親から言われる。それって、子どもたちからしたらショックではないかなぁ・・・。

独り占めしたくて意地悪することだって、人間だからあるかもしれません。そうしたら、誰かが泣くかもしれません。大好きなお友だちが泣いたことで、バツの悪い思いが残るかもしれません。いつか仕返しをされるかもしれません。独り占めの気持ちをやりたいだけやったあと、嫌々貸してあげたら、思いのほか、暖かいものが心に広がるのを不思議に感じるかもしれません。

それらを全部、子どもたちの間で自然に味わわせてあげることは、そんなにダメでしょうか。本当に、こんなにも大人の介入が必要なほど、自然に貸せるようにはならないものでしょうか。

「そのままにしておいて、ずっと意地悪なまま、ずっと貸せないままだったら・・・?」という不安が残るかもしれませんね。

ずっとそのままだったらどうなるのか、それも、子ども自身に体験させてはいけないでしょうか。もしかしたら、その強情が良い方へ働いて、リーダーシップのある子に育つかもしれません。貸した方が気分がいいな、ということを自ら発見するかもしれません。あるとき急に自ら貸してあげるようになるかもしれません。

そんなの、子どもそれぞれ、どうなるか分からない。どうなるか分からない成長の側に寄り添うのが親の役目ではないでしょうか。もし、そのことが大きな問題になって、本人が苦しむようなら、そのときにまた考えては遅いでしょうか。

当たり前の自分の欲望が満たされる前に、自己犠牲が先に教育されるのは、果たして本当に子どもの思いやりを育てることができるのか、私は疑問です。

私は、自分の持っていた飴を、心から「この子に食べて欲しいな。」と思ってあげた日のことをとてもよく覚えています。喜んだ友だちの様子を見て、本当に嬉しかったことも覚えています。お母さんとお風呂に入りながら、「お友だちに飴をあげたの。そのとき、私も欲しかったけど、友だちが食べて喜ぶ方が嬉しいと思ったから、私はお腹がいっぱいだと嘘をついたの。嘘をついたけど、なぜか、気分が良かったの。」と話したことを覚えています。自分がおりこうだったとか、誉められようとか、そんなことは少しも考えず、「お友だちが美味しそうに食べる姿が、私にはとっても嬉しかった。」ということを、お母さんに伝えたいと思ったことをよく覚えています。人の行動が自分に喜びを与えると知ったことが、とても衝撃的だったからだと思います。

だからといって、いつもいつも、どんなときも自己犠牲を払って他人を優先することはありません。時と場合によります。でも、心から人のことを思って分け与えるときは、自分の喜びでしかないことはその時から変わりません。それは、人から誉められるとか相手が感謝するとかとは別な次元の思いです。自分の中に、釈然としない思いを抱えながら与えるときは、「ありがとうとも言わない。」という不満が発生することもあります。そういうときは、自分にやましい思いがあるときだとあとから気づきます。

自分が満たされているときは、自然と、他人に分け与えることが喜びに変わりますが、私は常にその状態にあるとは言えません。

皆さんは、どうでしょうか。

宿題やらなくていいの・・・?

学校の宿題をきちんとやることと、将来の学力とはあまり関係がありません。ましてや、「仕事ができる人」「起業する人」「専門職に就く人」「技術を身につける人」など、簡単に言うと「食っていける人」になることとは全然関係ありません。

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えぇ・・・っ。
宿題って、ちゃんとやらないといけないんじゃないの??書き取りしなかったら漢字が書けなくなるでしょう??

そう思いますよね。あるお母さんとわたしのLINEのやり取りを公開します。

本当にそうなのか

正直、毎日メルマガを読む度に混乱しています。

「宿題は無駄」「書き取りは要らない」「宿題と学力は関係ない」

本当にそうなのか。なぜ、そう言い切れるのか、よくわからないというのが率直な意見です。

賛成も反対も出来ない自分がいます。
情けない、不甲斐ないです。でも、すぐに答えも見つかりそうにありません。

学力をつけよう、または定着させようと思って、教師は宿題を出しますよね?(そのつもりで、私は小学校教員時代に宿題を出していましたし、ほとんどの親がそう信じていると思います。)

私自身が子どものときは、宿題の書き取りを1ページに30分かけて取り組み、2年間でほとんど教科書体そっくりの字を書くことができるようになり、そのために辞書をひいて新しい熟語を学ぶこともできました。
あの時間は、私にとって「学力」の定着のためになりましたし、いかに美しく心を込めて書くかという取り組みは、自分を客観的に見たり、より良くするためにどうするかを考えるという点で、その後に生きるものになったと思っています。

そして、それが途方もなく楽しく、自分の自信を高めた経験にもなったのです。だから、宿題が学力や生きる力に無関係だと言われると、私の中の当時の私が泣きそうになります(笑)

いま考え直して思うことは、宿題の意義や目的は2つあって、1つは学力の定着。もう1つは、宿題をやるにあたって漏れなくついてくる副産物のようなものの獲得(うまく言えません)だと考えます。

ついてくるオマケのようなもの…たとえば「時間の使い方がうまくなること」であったり、「同じ問題に取り組む親子の時間が設けられること」、「決められたことを決められた期日までに終わらせる責任感をつけること」 そんなことです。むしろ、後者のほうが「生きる力」をつけるために必要でしょうね。
そうなると、宿題の内容が教科書やドリルでなくてもいい、という意味は頷けます。(そういう意味ではないのかもしれませんが。)

私が教室にいたのはわずか数年間ですが、宿題をしっかりやっていたかどうかと、学力は比例していました。
また、宿題をしっかりやっていることと、係や掃除の仕事を真面目に取り組むことも比例していたように思います。

ただ、宿題をやっていたからと言って、その子が柔軟に考えて行動できるかと言えばそうでもなく、みんなの意見を尊重しながら自分の意見も言える子だとも限らないかな、とも思います。

「なんのために勉強するのか」「宿題の意義は何か」ついでに「やる気を出すために必要なもの」
これが、今の私の考えている課題です。
今後が気になります。

「生きる力をつけたい」これは、教員になった理由でもあり、我が子に思うことでもあります。世の中すべての子どもたちに思うことでもあります。
非常に興味深く、そして朝から1日じゅう悩まされております(笑)

 なるほど、小学校教師のお母さんなのですね。そして、ご自身もきちんと宿題をされていたのですね。

ひとつ、誤解のないように申し上げておくと、「宿題なんか無駄。やらなくていい。」ということではありません。

以下、ピンク文字がわたし、グリーンがこのお母さんです。

今のお考えをベースとして、「もし、我が子がまったく違うタイプ(書き取りだいっきらいで、どんな工夫をしてもやる気が起こらず、実際にやらず、先生に怒られても平気。何とかやらずに行く方法をいつも探している。それより何より外で遊びたい、帰ったらすぐ寝る)だったらどう思うか、ということを考えてみて、お返事をもらえませんか。

「どうするか」ではなく、「どう感じるか」です。

難しい問いなので、正直なところ「1日では答えられないや~」なのですが、今の精一杯の考えを答えさせていただきます。

何も書き取りをしようとしない、その理由が2つに分かれそうなので、2つに分けて考えさせてもらいました。

1つ目
知的好奇心や日常生活の送り方や他の教科の習熟度に問題がなく、覚えたいと思っていたけど何回やってみても覚えられない、そのために嫌になってしまい諦め切っているというタイプ。

これは、LDにあたるものかもしれないので、その時の感情としては「ん?この子もしかしたらLD?」って思います。「おー、これはこれから大変だぞ。」って思います。焦りますが、反面落ち着きもします。

ちなみに、その場合は専門機関や担任の先生の見解と協力を得て、今後の不自由をできるだけ取り払うために、ゆっくりでもいいから覚えていける方法を探すと思います。
高3で小3レベルだともしても、字を書く、読むという事ができないことは、生活する上で不自由を感じることだと思うからです。

2つ目
覚えられる能力はあるのに、やる気が出ない、面白みや目的も持てないタイプ。

この場合は、「なんでやろうとしないの?」とガッカリするかなぁ…少なくとも「困ったな」って感じると思います。ため息が出るような気分になると思います。それと、本人の苦しみに同情するかもしれません。「毎日、苦痛でつらいよね」と。

(先生が求めていらっしゃる答えではないと思います。ごめんなさい。)

そのあと「どこでこの子はやりたくなくなったんだ?」「なにが嫌なんだ?」って疑問が出てきて、本人に聞いてみる。

人が悔しくないときというのは、本人の興味もなく自信もないときですので、興味がない理由と自信をなくした理由を探ります。


やっぱり、書き取り?というか文字を覚えることは大切だと私は思うので、「書き取り」という方法でないにしても「読める&書ける」というところにはもっていきたい、という考えです。漢字と読み方を結べればいいクイズ形式にするとかにして、学びやすいやり方を考えます。。

やる気が出ない理由には、
知的好奇心の構築(へぇー!!と思える心)がなく、
賢さへの憧れ(知ってる・できるって何かカッコイイ!と思える心)もなく、
自分への自信(やったら自分だってできるはず!と思える心)もない、ということがあると考えています。(今時点で)

ですので、「どれが欠如してるんだろ、私は何を間違ってきたんだろ。これから、どうしたらいいんだろ」と考えます。

それでもそれでも、何もしないのであれば、、、
文字を読み書きしなくても済む世界を子どもと一緒に考えようと思います。

「読み書きできなくていい」という選択をした本人を尊重しつつ、その判断の責任は本人に持たせます。

では、お子さんが、「宿題をやらない」タイプだったとして、大人になったとき、「大好きな外遊びが高じて、散策をテーマにしたエッセイを書く人」になったとしたら、そのことについてどう思いますか?

要するに、自分では思いもよらない、別な道を通って、まさかの文筆家になる、ということはあり得ないと思うか、ってことです。
答えは求めてないから大丈夫です。どう感じるか、感情を聞きたいんです。

先生、すみません。感情だけ答えるのが難しいです。
なぜなら、佳織先生の質問から「まさかの道を通って、まさかの人になることもあります」というメッセージを読み取ってしまうので。
どうしてかって、「すでにエッセイストになった」として、どう思うか?という過去形で書かれてるから、「そういう人生の形もあるんですよ」と言われてるのと同じで、、

そこから、感情だけ答えるの、難しいです。ごめんなさい。わからないです。

でも、仮に「エッセイストになりたい」という段階で考えてみると…

「ふーん」「意外なとこを行ったね」「でも、やりたいならやったら?」って好意的に感じると思います。

「宿題やらなくて悩まされたけど、案外あの子大丈夫なのかもしれないね(笑)」って夫と話をするんじゃないかと思います。

そうそう、「まさかの道」、そう言いたかったんです。「それって想像できる?」って聞きたかったんです。

最初に頂いたメッセージ、わたしが通った考えと同じで、その頃は「まさかの道」があるっていうことを思いもしなかったので。そのときに「まさかの道」を提示されたら、なんて感じたかなぁ、と。

「まさかの道」は、もともと有り得ると思っていました。宿題やったからと言って、100点のテストしか取らないからと言って、そのあとの人生が生き生きとするとも限らないってことも、思っていました。

けれど、宿題と学力は無関係か、そこまで言っちゃっていいものか、と考えていました。

昨日も考えていたら、先生の言葉の意味が「なるほど」と納得できるところまで来ました。

「生きる力」がバッグだとすると、「宿題」はバッグチャームみたいなものなんじゃないか、と解釈してます。
必要なのは「生きる力」(バッグ)のほうで、「学力や宿題」(バッグチャーム)は生きるための必要最低条件にはならない、という感じ。

バッグチャームがあればあるほど、バッグが大きくなるわけでもないけれど、バッグチャームを獲得(しようと)するうちに、バッグが欲しくなっていったりバッグの必要性を感じて、そっちに向かっていくこともある。

こんな感じ。もうちょっと上手い例えができそうですが(笑)

これ、メチャクチャ考えるの楽しいです!今後のライン内容も楽しみに読ませていただきます。

 バッグとバッグチャームのたとえ、そうですね。わたしが言いたいのは、「ものごとの本質は"宿題をやる"ということではない」ということです。

 このお母さんとのやり取りで、わたしは何ひとつ「こうです」ということは言っていません。ご自身が考えを深められ、このバッグチャームまで行き着かれたわけです。

とはいえ、このままではモヤモヤしっぱなしでしょうから、少し補足します。

書き取りは必要か

まず、「書き取りは必要なのか」について。

今、小学校の宿題では「書き取り一日◯ページ」というのが宿題のスタンダードとなっています。これがいちばんの問題だと思います。(うちは違うよ、っていう方がいらっしゃったら教えてください)日本全国、全員が取り組み、例外がほとんどない。これでは、我が子が例外に当てはまったとき、親がアタフタ、イライラ、不安になるのは当然だと思うんです。

別の小学校の先生からのご意見を引用します。

書き取りを毎日書くという宿題が浜松市では王道ですね。

書き取りで漢字を覚えられた長男、たくさん書いても覚えられない次男…やっぱり人によって違います。

 この方は、ご自身が「同じ親の子で、同じように接しても子によって効き目が違う」ということが分かっていらっしゃいます。このような先生がどのくらいいらっしゃるか、ということなんです。

「漢字を覚える」という目的に照らし合わせたときには、書き取りに効き目がある子とない子がいる。日本全国で考えたら当たり前の話です。それなのに、そのことを理解して出している先生はたぶん、ものすごく限られています。ましてや、出された側の親は我が子しか知りませんから、「学校が出している以上、学力のために必須なのだ」と思うのは当たり前だと思います。

けれど、万能ではない。効き目のない子もいるし、苦痛な子もいる。これは事実です。

効き目のある子について、わたしがたくさんの生徒を見てきて思うことを言います。書き取りが好きで、きちんと出されたものをこなし、識字として身につけていく子は・・・、おそらく、宿題として書き取りしなくても身に付きます(笑)。見ていると、誰にも強制されずに「この漢字なに?これ、漢字で書くと何?」と聞いてくる子、とにかく「字を書くこと」が好きな子、読書量が半端ない子など、「あなたは元々、書くことに興味があるでしょうね。」という子がほとんどなんです。

じゃあ、そうではない子はダメなのか。字が読めなくなるのか。書けなくなるのか。

これもイコールとは言えません。別なやり方でいつの間にか書けるようになっている子もいます。あんなに宿題やってなかったのに。特に男の子に多いです。急にモチベーションが上がって、漢字検定などに取り組み、あっという間に「かつてのサボり」を挽回してしまう子。何人も見てきました。

ものすごい読書家になり、言葉の使い方がすごく上手になる子もいます。大人になって、SNSやブログで素敵な文章で、人を惹き付けている人もいます。

そして、わたしのFacebookの記事にこんなコメントをくれた方がいました。

小心物の私は書き取りやってたと思います。
あいかわらず、字は汚いし,漢字も書けないまま大人になりましたが(笑)。「大人になったころにはコンピューター全盛で手で字を書くこともないだろう」なんて勝手な事を考えていました。まぁ、それは半分そうなってるわけですが、誤変換に気が付きにくいですけど。

 今、わたしは大量に文章を書きます。文章がそのまま仕事になっているものもあります。年々、漢字は書けなくなってますが、困ったことはありません。なぜなら、「ほとんど全部、パソコンでタイプしているから」です。また、分からなかったら調べる手段はいくらでもあります。校正してもらうと、間違いもいくつか見つかりますが、ほとんどの場合は誤変換が原因だし、「魅力的な文章を書く」という最終目的に比べたら、1つや2つの誤字は大きな問題ではありません。

書き取りは、やっていたかどうか、正直、あんまり記憶にないのですが、字を書くことが好きだったので、たぶんやっていたのではないかと思います。「字の美しさ」はわたしにとって、とても大事なことでした。さまざまなモチベーションにも繋がったし、教養のひとつとして役立ったことは数知れずあります。ですが、書き取りが自分の人生や仕事を左右したかどうかというと、全然関係ないと思います。

親と子どもは違う

そして、これが大事なことなんですけど。わたしにとっては、書き取り(字の美しさ)は大事だったけれども、「生きる力」のあるすべての人に重要だったとは限らない、ということです。そんなの当たり前じゃん、と思われるかもしれませんが、これは、本当に多くの子を見てきたからこそ、実感として腑に落ち、低学年で早速宿題をやらない子であろうと、将来を悲観するようなことはなく、「違う道で花開くということだろう」と心から信じることができているのです。これを、我が子しか育てていないご両親が納得するのはたいへん難しいと思います。自分と違う場合に、本当に信じることができるか、ってことです。

わたしの予測ですけど、今後、さらに「識字力は書き取りではない手段で身に付くのではないか」という議論が進むと思います。

日本の識字問題

先日、こんな記事が発表されました。

news.yahoo.co.jp

 こちらの方が、よほど大きな問題ではないかと思います。日本全国、ほとんど全員が書き取りに取り組んでいるのに、中学3年生の約15%は基礎的読解力が不足しているということは、今後、「別な方法」が取られる可能性はとても高いのではないかと思います。

 こんな本があります。人の認知特性には視覚優位、聴覚優位、言語優位の3つのパターンがあるというのです。わたしがテストを受けてみたところ、ぶっちぎりで「三次元の視覚優位」ということが分かりました。自分では言語優位だと思っていたのに、なんと、社会生活に支障をきたすレベルで低かったのです!

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

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でも、よくよく考えてみると、確かに、わたしの記憶は映像化されているんですね。思い出すときは映像を巻き戻します。皆さんはどうですか? 

 極端に言うと、視覚優位で「見れば覚える」というタイプの子の場合、書き取りという行為が挟まることによって、かえって効率が悪くなる可能性もあるのではないかと思うのです。

 この本を読むと、九九が言えないことと数学の出来にも関係がないことが分かります。言えなくても覚えている可能性はあります。実際、わたしの長男が九九が言えずに苦労していました。ですが、算数は得意で、難しい問題はじーーーっとひたすら見ていたかと思うと、急にポンと答えを書くのです。「なぜ、途中の式を書かないの?」と聞くと、「見れば答えが出てくる。」という言い方をしていました。

必死で宿題をやらせる理由

わたしが接してきた多くのお母さんは、子どもに宿題をやらせるのに必死です。「やらない」なんてことになったら、それが大きな悩みの種になってしまいます。しかも、ただ「やる」だけではなく、「学校から帰ったら、遊びに行く前にまず宿題をやってから」ということに、なぜかものすごく大きな使命感を感じて遂行しているように見えます。

なぜでしょうか。わたしの推論はこうです。

「学校から帰って、まず宿題をやらせて、忘れ物のないように準備させる」ということが、母として、子育てとして、「ちゃんとやっている」という充実感や達成感が大きく、漠然とした不安を具体的に払拭できる行動だからではないか、と思います。

そして、そこには「やらないと漢字が書けなくなる」「やらないと計算ができなくなる」という一般的な正論が、モチベーション維持と必然性の証明に一役買っており、「やらなくても大丈夫」なんて、本当は聞きたくないのではないかと思うのです。

宿題と生きる力

もし、あなたが「生きる力」を持った子どもに育てたかったら、宿題はやらせないでください。いえ、ちょっと言い方が違いました。

自分でやらせてください。

宿題は、こんなプロセスで出されます。

  1. 提示される
  2. 計画する、思い出す
  3. 実行する
  4. 提出する
  5. 評価される(→修正のため、1.に戻り、以下くりかえし)

・・・何か気づきませんか?

 

これ、わたしも明日4番をやります。ある会社から依頼された仕事です。この1週間、少しずつ進めました。たぶん、間に合います。100点かどうかは分かりません。というか、100点である必要はありません。もし、わたしの提出したものが20点だったら、最初からわたしに依頼は来ません。でも、60点でも大丈夫です。少しずつ相手の要求に応えるにはどうしたらいいか、コミュニケーションの方がずっと大事です。「これがわたしの考える100点です。どこが悪いっていうんですか?!わたしは間違ってません!ちゃんとやりました!!」・・・たぶん、次から仕事きません。

えーと・・・、言うまでもありませんが、2番と3番は自分で時間をやりくりしてやりました。お母さんからやらされてません(笑)。遊ぶ前に終えてません(笑)。遊びや生活の中で上手にやりました。

若かりし頃のわたしは、大失敗を繰り返しました。

仕事での大失敗は、書きたくないほど心の傷になってるので、ここでさらすのは勘弁してください。宿題の失敗は数知れず。いつも夏休みの最終日は徹夜。今でも覚えているのは、卒論。清書を甘く見ていたわたしは、「3日間、文字を書き続けたら手が動かなくなること」も「ワープロのインクが無くなったら夜中に売ってるところはないこと」も、初めて経験して泣きましたね(笑)。

今、・・・というか、ここ20年くらい、締め切りを飛ばしたことはありません。だいたい、納期の1〜2週間前を目指して仕事は仕上げます。言うまでもなく、学校の宿題は関係ありません。内容は関係ありませんが、プロセスはおおいに関係しています。特に失敗が活きています。

もう一度、言います。

お子さんに生きる力を付けさせたかったら、宿題は自分でやらせてください

失敗しても途中でもなんでも、そのままの自分と向き合わせ、18才で「自分で考えて自分で計画し、自分で実行する」という力が付いているようにしてください。

学力とは関係ない

多くの子どもたちの行く末を見てきた結果、宿題をきちんとやることと学力には直接の関係がないことは明らかです。だって、実際そうでしたもん。

宿題をきちんとやってた→学力が高い
宿題をきちんとやってた→学力が低い
宿題をやってなかった→学力が高い
宿題をやってなかった→学力が低い

どのタイプもいます。ほんとです。あなたのお子さんがどのタイプか、分からないのです。だから、自分でやらせたら学力が低下する、ということをやみくもに怖れる必要はありません。

ですが、上記の1.〜5.のプロセスを何度も体験した子は、少しずつ上手になっていく。これは確実な力となります。

ほったらかし?

だからといって、放置しておくのとも違います。LINEでいくつか提示したとおり、モチベーションや知的好奇心について、環境を整えて「取り組む姿勢」を作っておくなど、親にできるサポートはいくらでもあります。ただ、直接的ではありませんから、信念が必要です。

あるお母さんが、こんなことを言っていました。

子どもに自分でやらせようと思っているのに、通りすがりに「宿題やったの?」など、まるで口癖のように言ってしまっています。

これ、「任せる」とはどういうことか、ミューレバザール(→詳しくはこちら)を経験したあとに、しみじみとお母さんが漏らしたセリフです。

簡単ではありません。相当な覚悟と根気が要ります。ひょっとしたら、周りの目や先生の冷たいコメントに泣かされるかもしれませんね。

やるかやらないかは、自分で選べます。でも、子どもが18才になったとき、すべての勉学についての悩みから解放されたご自身の姿を想像してください。そのときにまだ「受験勉強やったの?落ちてもいいの?!遊びに行く前にやりなさい!」って言っていたくないでしょ?

 

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なぜスマホの講座を企画したか

【子どもとスマホ〜親としてどうするか】お申し込みが増えてきました。ありがとうございます。皆さんが関心を持ってくださって、とても嬉しいです。昨日1日で5組のお申し込みがありました。定員は30組です。

 

あなたのお子さまも、おそらくスマホを持つことになります。(いや、分かりませんね。昨今の技術の進歩を鑑みると、スマホどころではない端末に変わっているかもしれません。だって、つい2〜3年前にはケータイを持っている子も少ないくらいだったんだから。)

スマホは小さなパソコンです。「普通に育てていたら普通に使う」という甘い考えはききません。なぜなら、そもそも「普通」なんかないものだからです。スマホは単なる箱で、「中に何を入れるか」「何に使うか」無限に拡張できます。

スマホを使ってトラブルや問題を起こす子はどんな子かご存知ですか?70%が非行歴のない、いわゆる「普通の子」だそうです。なぜかというと、「ごくごく軽い気持ち」だからです。

軽い気持ちって??

あなたが中高生の頃を思い浮かべてみてください。ごくごく軽い校則違反ってしたことがありませんか?たとえば学校にマンガを持ってきて貸し借りするとか。昭和のわたしの学生時代は、ほぼ全員が学生かばんをぺっちゃんこにつぶしてました。そのことって、自分たちは「非行」ってほどの意識はありませんでしたよね。

スマホで問題を起こす子も同じなんです。ただ道具が違うから、問題が大きくなってしまうだけです。

問題が大きいから処罰もとても厳しいです。無期停学とか。内容は、昔でいうと、当たり前に「交換日記でやっていたこと」レベルです。

 

脅かしてしまいましたが、このくらいの危機感を持っても良い状況だと思います。

 

けれど、わたしがこの講座を企画した最大の理由はこのことではありません。

わたしはiPhoneを発売当初から使っています。その前はiPod touchiPhoneの電話機能だけがないもの)を使っていました。パソコンは大学生のころから、インターネットは電話回線でピーガラガラと繋いでいた頃から利用していました。会社員のころはもちろん、今でも仕事には欠かせないし、スマホとネットがあるおかげで実現していることがいっぱいあります。

つまり、ちゃんと利用すればあらゆることが実現可能になる便利な道具になるんです。

 

あなたは、これまでも「生きる力を持った子」に育てるために、なるべく質がよく、一歩進んだ子育て、教育を考えて来られた方だと思います。

 

子どもにスマホを持たせるとき、どうせ使わせるなら、

  • 必要な情報を適切な検索ワードで探し出せる
  • 交通手段、時間、地図などを自分で調べてどこにでも行ける
  • 適切な日本語を使った文章を素早く打てる
  • 自宅のWifi環境の設定ができる
  • データ通信料や仕組を理解し、自分に適したスマホの通信プランを選べる

 積極的にこのような能力や技術、知識を持った子にしませんか?

そのためには、持たせる段階になってあれこれ制限してコントロールするような与え方ではなく、そのずっとずっと前から、ここを目指して育てる必要があります。

このおはなしをしたいので、企画しました。

 

日程:11/23(祝) PM6:00-9:00
受講費:5,400円
持ち物:筆記用具、自分の飲食物 お好きなだけ
会場:あいホール302号室

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ikiru-oyanokai.hatenablog.com

またやりますか?

「子どもとスマホ」にご質問いただきました

Q:またやりますか?

A:やりません。今回限りです。

長澤さんのお話はどこかで聞けるかもしれませんが、わたしがコラボして「じゃあ、実際どうするの?」というおはなしをするのは最初で最後です。

最初は、何度かやろうかなーと思ってました。たいへん厳しいことを言いますが、「またいつか行こう」と思っていらっしゃる方は、何度やっても来られることはありません。

今回限り、多少の無理をしてでも聞いておこうという方にのみ、本気のお話をします。

 

日程:11/23(祝) PM6:00-9:00
受講費:5,400円
持ち物:筆記用具、自分の飲食物 お好きなだけ
会場:あいホール302号室

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お買い物ごっこで学ぶこと

音楽教室ミューレでは、毎年恒例のイベントがあります。「ミューレバザール」というお買い物ごっこです。今年のようすをお伝えします。

ミューレバザールとは?

お買い物ごっこです。商品は、売れそうなものならなんでもOK。

これは、わたしの思い出から思いついたイベントなのです。わたしが幼稚園のころ、同じアパートに文房具をとてもていねいに大切に保管しているお姉ちゃんがいて、ときどき、便せん一枚とか使いかけで要らなくなったシール、おりがみ一枚、紙石けん一枚などをくれるんですね。「そのお姉ちゃんが持ってたもの」というだけでプレミアが付いて、本当に嬉しかったのです。

だから、なんでもOK。お金はペットボトルのふたです。

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見ているだけでワクワクしませんか?お店を出してもいいし、買い物に来るだけでもOKです。

ルールを伝える

子どもたちが集まったら、今日のルールを説明します。ルールは以下の通り。

*4時までに元の状態に戻す
*お昼ご飯も自分たちでやる。
  メニューはおにぎり。
  最低100個は必要。炊飯ジャーは5つ。
  予算4,000円で材料は隣のコンビニに買いに行く。
*売る工夫と売り切る努力をすること。

同時に、お母さんたちに「絶対に手も口も出さないで。」とお願いしておきます。ただし、失敗させて思い知らせるのが目的ではないので、ちゃんとフォローも用意しておきます。

時間が間に合わなくて小さい子たちがお腹が空いてしまったときのために、こっそりと、2階でお米を5合炊いておきました。また、予算は超えても大丈夫なように、低めに伝えてあります。

お米を炊くこと 

すっごく楽しそうにお買い物ごっこしてます。初めて会う子もいるし、年齢もさまざまですが、トラブルがいっさい発生しないことがミューレのイベントの不思議です。もめごとが全然起きないのです。本当に自由で、大人の判定が加わらないからでしょうか。

けど、時間はどんどん経っていきます。お母さんたち、やきもきしてきました。

「子どもたちって、炊飯ジャーをパカッと開けたらご飯が入ってると思っているのかもしれないね。どのくらい前から準備を始めないといけないか、知らないのかもね。」

ついに12時15分前になり、ホールを見に行きました。わたしの姿を見たからか、6年生同士が「お昼ご飯、どうする?」と言い始めました。

そこからはあっという間に担当を決め、買い出しとお米炊きに分かれました。

案の定、小さい子が空腹で泣き出したので、「お助けご飯」を出してあげました。f:id:ikiru-oyanokai:20171030011917j:plain

改善していく

コンビニ買い出し隊が、わたしのところに駆けつけてきて、小さい声で興奮気味にわたしに言いました。

「先生!コンビニのくじで雪見だいふくが当たったの!
どうしようか、コンビニの前でこっそり食べちゃおうかって言ってたんだけど、一応、正直に言いにきた!」

わたしは、「そんなの、先生になんか言わずにこっそり食べちゃえばいいよ。」と言いました。子どもたちは、一斉に駆けていきました。(ご、ご飯は・・・?)そのあと、なんともうひとつ雪見だいふくが当たり、おにぎりを用意していた子全員がありつけました。くじを引いた子はひとり。こういう子っています、ものすごく引きの強い子って。

さて、おにぎりは、注文を取る子、握る子、お米を研ぐ子などに分かれ、動き始めました。が、すぐに問題が発生しました。次々に注文が入るので、どの具のおにぎりが誰のものか、だんだん分からなくなったのです。また、ひとりひとりに、具材を羅列して選んでもらうのも効率が悪くなってきました。

そこで、子どもたちはメニュー表を作ることを思いつきました。誰が何を使って書くのか、その場でやりたい子が速攻で手をあげました。

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注文を取るときは、名前もいっしょに聞くことになり、これで、順番や種類の混乱はなくなりました。

サポってる子?

決めたわけではありませんが、小5と小6の子たちがおにぎり隊になりました。小5のりりちゃん(わたしは4才から見ています)が、初めて見るような積極的な態度で、どんどん役割に立候補していきました。こういうことが好きなんだな、と初めて知りました。

ふと見ると、小6ふたりがホールで漫画を読んでいました。決めていたわけじゃないけど・・・、

「この2人は何をしているの?」

と聞いたら、

「今、休憩中。かわりばんこに働くことになったの。」

シ、シフト制かい!!びっくり。たしかに、おにぎり食堂は狭くて、全員は要りません。たいしたもんです。

リンゴの皮むき

食後のデザートにリンゴを出すことになりました。わたしは、「それも子どもにやらせてみて。」と言いました。

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すごい包丁の持ち方と剥き方で、お母さんたちが「見てるとヒヤヒヤする〜〜!」と言っていました。

わたしは、お母さんたちに、

「包丁で怪我するときってどんなとき?まだ慣れてなくて下手だったとき?」

と聞きました。お母さんたちは、「大人になってから、うっかりしてるとき」と答えました。それで、「子どもだから切るってことじゃないから、やらせてみよう」と言いました。

でこぼこで茶色くなりかけたリンゴがいっぱいお皿に並びました。

そのあと、わたしは、手伝ってくれたお母さんたちにコーヒーを出しました。注文取り、コーヒーの準備、運ぶところまで、やりたい子が自主的にどんどん手伝ってくれました。

片づけ

おにぎりを作った後は、当然、米粒だらけのボウルなどが水に浸けられることもなく、放置されていました。

子どもたちは、45分前くらいから店じまいを始め、20分前から片づけに入りました。「米粒、取れないかもよ」と言ったら、「なんとしても取ります!」って言ってました。それならそれもアリかもな、と思いました。

「自分でやる」ってことは、「上手にやる」とは違います。「なんとかする」というのも大事なことで、子どもたちは全然「失敗した」なんて思ってないんだな、と思いました。初めてなんだから、当然です。

そのあとは、本当にテキパキと、誰も仕切らないのに片づけられていきました。係も何も決めていないし、もちろん、大人も指示を出していませんが、「全員がやれることをやる」ことで何もかもがうまくいきました。

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高校生と小6の子が洗いものを担当してくれました。

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低学年の子が炊飯ジャーをきれいに拭いています。

片づけが終わった後は、床も机も、埃をかぶったピアノも、全部ピカピカでした。

また来年もやります。

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友だち追加

まだスマホを持たせる年齢じゃないので・・・

11月23日、「子どもとスマホ〜親としてどうするか」という講座を開きます。

関心を持ってくださっている方がたくさんで、ありがたいです。ご質問をいただきましたので、回答します。

Q:子どもがまだ対象年齢じゃない(小さい)んですが・・・

A:お聞きいただけたら、けっして早すぎることはない、ということが分かると思います。わたしの経験上、「コトが起きたときしっかり対処できる、または、コトが起きない」のは事前にちゃんと考え、情報を集め、準備を進めているからです。持っていなくても被害者にはなり得ます。

特に、小さいお子さまのご両親は、「今と同じ感じで子どもをコントロールできる」と思っています。でも、たとえば中高生になったら、言うことは聞かない、ろくに話もしない、知らないことが増える、友だち関係も把握してない、反抗したら「泣いてわめいて」じゃなくて「ぷいっと無視して出て行く」または「怒鳴って暴れる」ことも充分、どの子にもあり得ます。

それでも「使わせない。10時まで」なんていう制限を利かせられるのか、わたしは疑問です。

もし、今、「好き放題には使わせない」「フィルタをかける」「時間制限する」など、親がコントロールする方法で対応できると考えていらっしゃるなら、ぜひ、ご参加いただくことをおすすめします。

 

日程:11/23(祝) PM6:00-9:00
受講費:5,400円
持ち物:筆記用具、自分の飲食物 お好きなだけ
会場:あいホール302号室

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ikiru-oyanokai.hatenablog.com

子どもが子どもに教える

クワイヤクラス(→くわしくはこちら)の体験レッスンを行いました。

このクラスは、歌を楽しむのはもちろんですが、異年齢の子どもたちがひとつの音楽を完成させるために、力を合わせてさまざまな人間関係のケースワークを学ぶ場です。そして、「生きる力をつける」ためのクラスです。

内容は当日知らされる

13名の子どもたちが体験に来てくれました。年齢はほとんどが5才。どんな雰囲気になるか分からなかったので、内容は当日、子どもたちのようすを見て決めました。

小2から高校生まで20名のメンバーがおり、そこに体験の子が13名入ったので、小さい子は緊張してしまって、泣く子が続出しました。お母さんにしがみついて離れない子もいます。

すぐに歌うのは無理だと判断して、体をほぐすあそびや歌を歌ってあげたりしてほぐしました。

そして、全員を3つのグループに分け、小6(メンバーの中では中堅どころ)をリーダーにして、「歌を教えてあげて」と指示しました。体験の子どもたちは自分の体に名前シールを貼ってあります。子どもたちについての情報はそれだけです。

リーダーになる子を3つに分けるのはわたしがやりました。どの子とどの子をペアにすると、その場でいちばんパフォーマンスが上がるか判断します。その後のグループ分けは、任せました。

教え方は教えない

グループ分けができたら、どうやって歌を教えるか、わたしは一切教えません。自分たちで考えます。当然、できない子もいるし、ふざけて走り回る子もいます。

ようすを見ていたら、子どもたちは自然に「どの子にマンツーマンの指導が必要か」「どの子は最初からきちんと気を付けをして習いたいのか」「どの子はスキンシップしながらあそびの中で何となく教えるのが良いのか」、見事につかみ、すぐに個別対応を始めました。

なぜ、そのようなことができるかというと、「人はそれぞれ違って当たり前。余裕がある側が対応してあげれば済む。結果さえ伴うなら、途中経過はどんどん工夫していい。みんな同じではない」と教えてあるからだと思います。

先生のやること

ピアノ伴奏や指導補助をお願いしている裕美先生には、元々のメンバーで個別対応が必要な子が、イレギュラーな流れで混乱するかもしれないのでケアをお願いしておきました。(まったく問題なく、裕美先生とおしゃべりしながらお絵描きしてようすを見ていました。歌うのは嫌だとのことで、その場にいるだけにしました)

わたしは、各グループの様子を見て、ほとんど口を出さずにいました。ときどき、小さい子の集中が切れてしまわないように、「だいたい歌えるようになったら他のグループと合同になったりしてバリエーションをつけてごらん」とか、「小さい子は音程やリズム、歌詞が完璧になるまで教え込むことは必要ないからね」などのアドバイスをごくごくわずかに加えました。

練習のようす

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クワイや体験レッスン練習のようす

発表する

レッスンは2時間です。最後の10分で保護者様に集まっていただき、歌を発表しました。

最前列の10人は全員、今日が初めての園児です。最後のしあげとして、歌が始まる前の姿勢(気をつけ、などではなく、心持ちを話します)、この歌の意味、表情、間奏の間も音楽の中にいることなどを指導しました。

発表のようすがこちらです。


クワイヤ体験レッスン

参加者の声

その日のうちに、嬉しいおたよりをいただきました。

今日は、クワイヤ体験、本当にありがとうございました。
まだ、子どもたちの歌声が残っており、私の頭の中で、「Tomorrow」繰り返し流れています。

今まで、先生からの言葉でしかクワイヤクラスの子どもたちについて聞いたことはなかったのですが、今日、実際にクワイヤクラスの子どもたちと関わらせていただき、本当にすごいなぁと感じました。

娘には、ゆうかちゃんという女の子がマンツーマンで付いてくれたのですが、泣いている娘に対して、困った様子をみせることなく、誰かに相談することもなく、とても丁寧に対応してくれていました。

娘と話すときは膝をついて娘よりも目線を下げて話してくれたり、一曲目で歌えなかった娘に対して、「まず、リズムから覚えよっか」と、手拍子から始めてくれたり…1つずつ、娘に確認しながら、進めていってくれました。私も娘の横にはいましたが、やはり、大人が介入することなく、子ども対子どものやりとりをしてくれました。
そして、休憩時間も、移動するときも、常に娘のことを見てくれていたのが、とても印象に残りました。
また、マンツーマンでやっているゆうかちゃんに対して、他のグループの子が「大丈夫?」「一緒にやる?」などと声をかけてきてくれたりもし、自主性や、視野の広さなど、とても感じられました。

練習中は、体験の子どもたちに笑顔で対応してくれていたお姉さんたちも、曲が始まった(始まる前)瞬間から表情が変化し、目の力、力強い歌声、集中力、全てに惹きつけられ、やはり、心が揺れ動かされるような気持ちになり、涙が出ました(うまく表現できなくてすみません…)ありきたりな言葉になってしまいますが、とても、格好良かったです!

練習中の同じ体験の子たちが一生懸命歌っている姿も、リトミックの時とは違う、何か、歌っている時の解放されているというか…解き放たれているというか…何と言っていいか分かりませんが、そんな姿もとても印象に残りました。

最後の発表では、幼稚園児の一生懸命さ、高学年の力強い歌声がとても合っているように感じられました。あれだけ年齢の離れた子どもたちが初めて集まったのに、一体感が感じられ、本当に本当に感動しました。

娘も終わった後、照れ臭そうにもしていましたが、とても満足したような表情をしており、帰りの車の中も、お風呂でも「Tommorow」を熱唱していました。

クワイヤクラスのお姉さんたちに、改めてお礼を伝えてください。よろしくお願いいたします。今日は、貴重な時間を、本当にありがとうございました。

あと、一つ…

レッスンが終わった後、クワイヤに通われているお母さんと少しお話をしました。

そのお母さんは、堂々と我が子を「すごい!」って、褒めていて、それが、とても素晴らしい!!!と思いました。

私も、そんな母親でありたいと思いました!

 読みながら涙が浮かびました。すべての方に感謝の気持ちでいっぱいです。

100人にするまで、がんばります。