年少さんのならいごと

わたしの教室の、年少さんのレッスンあるあるです。

 

年少さんのクラスは、「さぁ、始めましょう」でレッスンスタートして、最後まで問題なく進むことはありません。

教室に入れない子もいるし、ただただ走り回って興奮してる子もいます。

また、何度言ってもふざけたり、教室から出て行ってしまったりする子もいます。

つられて一緒になって遊ぶ子も続出です。

わたしの方も、予定通りレッスンが進むことの方がまれです。

連れて来ている保護者さんは、さまざまに悩んでいるかもしれません。

「どうして教室に入れないんだろう」「どうして先生の言うことを聞かずに勝手なことするんだろう」など。

もしかしたら、「あの子さえいなければ、集中してレッスンを受けられるのに!」と思うこともあるかもしれませんね。

みなさんだったらどう感じますか?

どんな風に連れてきて、どんな言葉をかけるでしょうか。

 

多くのみなさんが考えてくださいました。

 

(1)Aさん 「他のお母さんや先生の言うことが・・・」

ちょうど、この間、教具のお片づけの時に、沢山落ちているボールをお友達が一瞬持って、それを隣に居たうちの子が、かしてと言いながらとって返しに行きました。
私は、持ってたのを、とったには違いないのですが、お片づけをしただけだと思い、あまり気にならなかったのですが、
そのお友達ママが、
〇〇ちゃんがとった、とわざわざ私に言ってくるし、
自分の子供に、今とられたよね??遠慮しなくていいのよ!と怒って言っていました。
私は、そのママに、ごめんね、と一言言って、
自分の子供に、〇〇ちゃんのも返してあげたんやね、でも〇〇ちゃんは、自分で返したかったみたい、と話しました。が、これでよかったのかな?と思っていました。
私が、そのママに、謝る必要あった?とも思いましたが、
嫌な思いを一瞬でもさせた事に対しては、謝ってて、よかったんだろなと、思います。

レッスン中も、その日の気分で、抱っこ抱っこで、1時間過ごす時もあります。抱っこながらも、1時間受けれたら、それでいいかと思っていますが、先生は、少しずつ離してください、と言われていますし、なんだか、私も、しなくてはならないと思い少し気が重いです。でも、無理矢理突き放す事もできないし。

この間、途中でレッスンが受けれないくらいに、何か言い出して騒ぎだしたので、部屋の外に連れ出して、話を聞いて
リトミックのレッスン中だよ、もうレッスンしないなら帰る?それとも、レッスンを受ける?とにこやかに話しましたら、リトミックする!と気分を取り直し、驚きました。これは、以前、佳織先生の講演会CDで、選ばせる事を話されていたので、近頃、二者択一で、使っていますが、こんな感じで使って大丈夫でしょうか?
私は関西地区なので、佳織先生のリトミックのレッスンが受けれたらいいのになぁ〜といつも思います。

 

 (2)Bさん 「悲しくなってしまいます」

佳織先生、こんにちは。まさに、うちの子がレッスンに参加出来ずいつも皆さんにご迷惑をおかけしていて申し訳なく思っています。

先生方が、レッスンに参加していないように見えてもちゃんと音楽を聴いているから大丈夫よ、と優しく頻繁に声をかけてくださいますし、子ども自身も楽しそうにはしゃいでいるので、子どもが音楽を楽しんでいるのならそれが一番なんだ、と頭では分かっているのに、正直、どうしたらレッスンに参加できるのか…果たしてそんな日は来るのかと悲しくなってしまうことが多いです。

今日は、次回はもう少し参加できるかな、と期待しながらレッスンに行くものの、現実を目にすると悲しくなってしまいます。

レッスンの流れを乱してしまうことに申し訳ない気持ちも積もりますし、走り回る我が子を周りの親子さんが不思議そうに見ていらっしゃるように感じてしまい(きっと気のせいかもしれません)つらくなることもあり、ほぼ毎回帰りの車で涙しています。

その度に、子どもが楽しく過ごしているのに、レッスンにはこう参加すべきと自分の考えで子どもの参加姿勢を評価してしまったり、周りの視線を気にして落ち込む自分が嫌になります。

うちの子の場合、発達障害の特性もあるので、注意しても、本人にもどうすることもできないこともあることも分かっているのに…まだちゃんと我が子の特性を理解できていないのかな、と思います。

子どものありのままの姿を固定観念なく愛し、特性を伸ばしていける親になりたいです。これからもよろしくお願いします。

 

(3)Cさん 「私のこと?」

「あれっ、それ私のことですか?」と思わず言ってしまう内容です。

まさしくこの事について悩んでいました。レッスン中にゴロゴロ寝転んだり、レッスンとは関係のない動きをしたり、レッスンに参加せず部屋から出てしまったり、他の子に付いて行きふざけ?遊んでしまったり...他にも色々。
レッスンに行くたびに、モヤモヤした気持ちになっていました。
子供にも何て言えばいいのか、どのように接すればいいのか、毎度悩みます。
レッスンに行く前にも何て言おうか悩んでいます。
「レッスン頑張ったら〇〇してあげる、買ってあげる」は違うと思いつつ、これが一番効果的なのでつい言ってしまったり。

でも今はこうでもいつかしっかりやってくれるだろうと、長い目で見ようと思うようにもしています。
思えない時もありますが(笑)

 

(4)Dさん 「子どもに怒ってしまいます」

正直なところ、私だったら、子供に怒って、力ずくで無理矢理部屋に入らせて静かにさせ、動かないように押さえつけてレッスンを受けさせると思います。

それが、子供に良くないと分かっていても、私が先生や周りの目が怖くて、また、自分自身が持つ、こういう子になって欲しい、という理想と反するのが耐えられなくて、そうしてしまいます。

 

(5)Eさん 「強制連行!」

私なら首根っこひっ捕まえて
強制連行してました❗

なにしに来たんだ❗❗って

時にごつん❗❗❗

(涙)

しかし
最近
先生のメルマガよんで
更におすすめ本読んで

自分と向き合ったら

騒ぐ子と混じるなら違うひのレッスンが可能なら別の日にする

教室自体をみなおす

本人のようすで
しばらく休んでみて
行きたいかやりたい気持ちがあるか
確認する

私は見学しない
(先生に許可を得て建物外でまつ 親がいるから安心して騒ぐから)

あとは先生の方針を確認して
ご迷惑でないか聞く

私自身にできるのは
本人になにかさせるより

回りの方とのコミュニケーションかなと
考えます❗❗

なかなか難しいですが
最近はさくっとそんな思考がまわります

(行動にともなわないこともあるかもですが)

正解がありましたら
ぜひ参考にしたいです

 

(6)Fさん 「ちゃんとさせなきゃっていう空気感があります」

先生のメルマガを読みはじめて1年になります。

今日のメッセージのようなことに年少さんなら普通なるよなーと今なら思えますが、1年前なら親がそうならないように仕向けたらいいって思っていました。大人しく先生の方を向いて、大人しく話が聞けて、大人しく先生の言うことを聞く子がいい子って思っていました。

小学2年生の娘はとてもマイペース、好奇心旺盛な子なんで、そんな私が育ててきていて、さぞかし窮屈だったと思います。。。

下の1歳の娘を子育て広場やお話会に連れて行って思うのは、みなさんが暗黙の了解でおとなしくその場にいさせなきゃという空気感です。読み聞かせの本を触りに行くって行動はごく当たり前だと思いますが、始めはいいですよーと言われても、やっぱり最後までそのままでオッケーという雰囲気ではなくて、やっぱり途中で親が止めなきゃいけない空気感。
子育て広場の保育士さんがマットの上をお馬さんになってハイハイしましょうと言っても、普通は歩くとか、マットが気持ちいいからマットの上で座るとか当たり前だなーと思いますけど、親が歩こう、座ろうとする子どもたちを躍起になってハイハイさせようとする感じなど、子どものやろうとする気持ちを削いでいるなーと感じます。

でも、先生のメルマガを読んでいなかったら、そうするのが良いと信じていたし、そのことを疑ったことも無かったです。

 

(7)Gさん 「安心します」

私は教員という職業柄、おそらく年少さんのようなクラスを見ると安心すると思います。年少さんでみんなが話をよく聞いて、言われたことちゃんとやっていたら、自分の子を入れるのに不安になるかもしれません。

ちゃんとみんなのようにできるかなとか、できなかったら家の子は何か発達に問題ありかなとか。

いろんな子を受け入れてやっておられる先生のやり方も参考にすると思います。何を大事にしてレッスンをされてるのか観察します。で、終わった後に子どもにも気持ちを聞くと思います。レッスンがどうだったかとか、いろんな反応をしている子たちをどんなふうに感じたのかとか、でなるほど~って思うと思います。

 

(8)Hさん 「追いかけた方がいいのかなぁ」

最近2才の息子はいつもレッスンが一緒な子と仲良くなってきました。なので お友達のする事を真似します。教室の外へ出るのも中に入るのも。何か持ってきたりお茶を飲んだり...とにかく後に続け!です。

レッスンを受けて欲しい気持ちはもちろんありますが『お友達』の感じが出てきたのが微笑ましく嬉しいので 止めることはしていません。ただ外へ出てしまった時は追いかけた方がいいのかなぁと悩みます。すぐに戻ってくることが多いので 教室で待ってるのですが 他のお母さんが出ていかれているので 私だけ楽をしてるのかもしれないなと...。

 

(9)Iさん 「ミューレでは放任できます」

ミューレでは、わが子のやることに放任できます。『こどもってそうでしょ?お互い様ですよね?』ととなりのお母さんもそう思ってくれている。という思いがあります。

それはかおり先生の思うところと違うかもしれませんが、こういう雰囲気を作ってくださっているんだと思います。

こないだはウチの子がレッスンに参加しないお友だちを差し置いて、そのお友だちのお母さんと手のひらを合わせ、トントン拍子をしてました。笑
私は教室の外から見ていましたが、なんとそのお母さんがニコニコとやってくれていたことが嬉しかったです。自分の子はすぐそばに居るけど、『私はこの子のお母さんだからあなたとはやれないのよ』と言っている様子もなく『今はこのレッスンをやるんだからこうしなきゃダメなのよ』と自分のお子さんを諭している様子もなく。


なんのお話だったかわからなくなってしまいましたが、とにかくそんなミューレがいーなーと思ったのです。

 

みなさん、ありがとうございます。
たいへん参考になりました。

LINEでお返事します。

炎の中の母親

 

子どもは母親を愛している。

理由も損得も条件もなく。
その無償さ加減は、親の比ではない。

 


母親が無償の愛だといって、自分の何もかもを犠牲にして、必死で「家」というものを作り上げる。
生まれた子どものために。

 

我慢に我慢を重ねているうちに、自分のやりたいことが見えなくなり、好きなものが分からなくなり、喜びも楽しみも悲しみも「これがきっとそうなんだろう。」というものだらけになっていく。

 

いつの間にか、子どもの表情を見ることを忘れる。
でも、いつから忘れているのか記憶にもないほど無意識だから、子どもの表情を見ていないことにも気づかなくなる。

 

もう、オムツを替えなくても、ミルクをあげなくても、子どもは自分の足で歩いているのに、そのことを忘れ、「子どものために」必死でミルクを作り、オムツを買ってくる。

 

「そろそろ準備ができたから。」と、子どもは反抗を始め、家から出ようとする。
自分の足で、自分の人生を歩むために。

 

そのまま行かせてあげれば、ある意味、子育ては成功だったのだ。

お互いに後味の悪い思いをするだろうが、親子なんだから、いつか必ず分かり合え、やり直せる日は来る。


それなのに、子どもが出て行こうとして初めて、顔を上げ、必死の形相で、

「私があなたのために必死で作り上げてきた、この「家」を、なんだと思ってるの!」

とすがる。


子どもには、もう、役目を終えて、燃えさかる炎に包まれた「家」だ。

 

「お母さん、その家はもう、燃えているの。
わたしたち、次へ移らないと。」

 

子どもは出て行こうとするのに、母親には炎が見えないので、火傷しながら、咳き込みながら、真ん中にあぐらをかいて居座る。

 

「お母さん、お母さん!
燃えているのよ、早く、逃げよう!」

 

子どもは必死で、次のステップへ進むことを提言するけれど、母親には熱さの原因が分からないので、逃げる様子もない。


それどころか、

「そっちに幸せはない。
すべてはこの「家」に用意してあるんだから!」

と、子どもが逃げることも引き止める。

 

 

すると、優しい子どもほど、親のことを理解している子どもほど、悲しいほどにせつない微笑みを浮かべ、炎の中に戻ってしまう。


このままだと死んでしまうことが分かっていて、でも、動こうとしない母を見捨てることができず。

 


そんなにも、子どもは母親を愛している。

 


その愛が、自分の比ではないことを知り、母を蹴倒してでも自立させてあげることが、子どもを産んでからの母親の役目だと私は思う。

 

すなわち、

「だいじょうぶ、あなたがいなくても私は生きていく。
自分の足で燃えさかる炎から逃げ出すよ。

私への愛情があるなら、あなたは自分の足で逃げなさい。」

と、安心して見捨てさせてやることだ。


子どもと折り合いが悪く、とてもじゃないけど愛情を確認し合える関係でないならば、いっそのこと、「こんな家、二度と帰るか!!」って捨て台詞を吐かせて出させてやった方がいい。
それもひとつの親子の形だろう。


もう必要のない、オムツとミルク缶に囲まれ、炎に包まれた家の中で、勘違いに安心しきって死んでいく母親を、涙を浮かべながら、頬をなで、すべて承知の上で一緒に死んでいく、それが子どもの愛情だ。

 

「子どものために」「子どものために」と、周りが見えなくなった愚かな母親と、分かっていて運命を共にする。

 

それほどに深くて無償の愛情をいただいていることに責任を感じて、生まれた直後から、日々、引き算をして、整理をして、処分をして、捨てて捨てて、何も負わせずに自立させてやる、それが親の役目だと、私は思う。

子どもが"世界"を基準に考えるために大切なこと

夏休み、ベルリンに8日間行ってきました。
次男がデザインの本場を体験するためです。わたしは、引率という名の「ただの海外へ行きたい人」です(笑)。

 

ベルリンへ行くことにした理由

今回の旅を決意したのは、夏休み前に、美大を目指す次男が「絵を描きたい」という衝動以上に、「やらなくては」という義務感で勉強を続けているように感じたことがきっかけでした。美大を目指そうと思うと、一般受験よりも受験準備の期間が本当に長いんですね、わたしも初めて知りましたが。高校入学と同時にデッサンやデザインがスタートしました。

受験用の絵に、どんどん顔が沈んでいく様子を見て、これまでときどき口にしていたことから推測して、「海外へ行ってみる?」と聞いたら、顔がパァっと輝き、「行く!行きたい!!」と即答したので、連れて行くことにしました。

わたしとしては、「何かの目標に向かうとき、行き詰まったら努力と我慢で乗り切るだけではなく、何か工夫をして、決断して、思い切ったことをしてもいい」ということを教えたかったので、それ以上、どこで何をしようと、もしくは、何もしなかろうといいと思っていました。また、世界の広さを知り、「受験をしない」という決断に向かってもいいと思いました。

 

ところで、この旅のことを言うと、突然決めて突然動いたので、どうやら、「佳織先生はすごく裕福で思いつきで海外へ行ける人」と思われたようです。それはまったく違い、「優先順位が最高に高いから」です。息子たちの教育費に予算を組んでいまして、その中から一気に使ったに過ぎません。「息子が将来の夢へ進む方向」は変わっていなくて、今はこれが必要だと思ったから一気に優先度を上げたわけです。

 

ひとりで海外へ行く高校生

パスポートの手配から荷物の準備、搭乗、乗り換えなどなど、基本的にはひとりでやらせてみました。滞在中は別行動で、それぞれ好きなところへ行きました。自転車とモバイルWi-Fiを借りたので、次男の方がわたしより行動範囲が広かったです。

日中は別行動で、3時〜4時にホテルに戻り、少し休憩をしてからスーパーで買い出しをします。持って行った調理器具でご飯を作って食べ、お風呂に入って洗濯をしました。夜は、わたしは読書や仕事、次男は宿題をしました。取り決めは何もなくて、自然にできたお互いのペースでした。

 

わたしは外国語学部卒で、同級生の中には帰国子女がいっぱいいました。中学や高校で単独留学した子たちです。わたし自身も、大学生のときに留学しましたけど、お金を貯めて調べて手続きをするのは、当然、自分でした。親は何も知らないですし、聞いたこともありません。ですから、"高校生がひとりで海外へ行き、単独行動する"こと自体は、珍しくはないし、もっとすごいことをやっている子はいっぱいいます。

 ですが、少なくともわたしの同級生や先輩は、「親が裕福でなんとなく海外へ行った」人はほとんどおらず、英語が大好きで外国に興味があり、自分で調べまくる人ばかりでした。つまり、語学や海外そのものに大変な興味があったのです。

その人たちとわたしの息子は、今まで行きてきた道が明らかに違います。

 

 わたしは、意図的に「子供が大学生になったら躊躇なく海外へ行けるように」育てました。こうなるだろうと思っていましたが、世間で考えられているやり方とは全然違ったので、ひっそりと決行していました。今回、"海外に興味がなくても、英語ができなくても、どの子も世界に出て行ける"ことを確信したので、そのことを書こうと思います。

 

子どもが理解できる範囲で暮らす

 わたしは、"子どもが理解できる空間の範囲"をすごく大切にしました。

保育園の間は「歩いて行ける範囲」。歩ける範囲をどのくらい把握しているか観察をしました。町内の施設、図書館や民族資料館、神社、公園などによく行き、「自分の住んでいる街」が把握できるようにしました。

小学生のときは「自転車で行ける範囲」。次男は特にこの期間がとても重要で、今回の行動に直結していると思いました。自然に恵まれた地区だったために、いろんなところへ生き物探しの冒険に出かけていました。興味があるから少しずつ遠くへ、知らない場所へ、(親としては、あとから聞いてヒヤヒヤすることもありましたが)少しずつ自分の行動範囲を広げました。

 

「行ってみたい」「見てみたい」「知らないところには、もっと違う生き物がいるんじゃないか」、そういう"自分の中で発生した"モチベーションに従って、自分で自分の行動範囲の広げ方を学びました。「どういうことが危険なのか」ということも体験の中で学んだと思います。(いろいろありました・・・)

 

「見てみたい」と思って知らないところへ少しずつ行くのか、「ほら、ここに面白いものがあるよ!」と連れて行かれるか、それは本当に大きな差だと思うのです。そのためには、「安易にあちこち連れて行かず、暇にしておくこと」が必要でした。刺激のない毎日の中で、近所の生き物探しがとっておきの「新鮮な体験」でないと、危険を犯してまで行こうと思えないですから。

 

中学生では市外へひとりで行ってみること。高校は県外に。それにも「行ってみたい!市の向こうに何があるんだろう」という気持ちがいちばん大切ですから、その興味を育むことに重きを置きました。

 具体的には、

  • アミューズメントを用意しすぎない
  • 暇にさせる
  • 遠くに旅行しない

ということです。

 

そのため、今回、次男が初めて経験することは「海を超える」ということでした。そこは丁寧に体験させました。飛行機、時差、水、電気、お金、気候など、行く前に調べるポイントのヒントを与えました。でも、町内、市内、県内、国内と順調に行動範囲を広げていますから、何か肌で「こういうことが違うだろう」と知っているような感じがしました。

 行ってしまった後は、「市内を自転車で移動」ですから、知らない場所でもまったく平気でした。地図を調べ、交通ルールを調べ、あとは本当に好きに移動していました。「チャリ最高!チャリさえあれば、おれはどこにでも行ける!」と言っていました。

 

言葉をどうするか

多くの方は、子どもを海外へ行かせるためなのか、世界で活躍するためなのか、英語を幼い頃から習わせると思います。でもわたしは、それより何より、「知らない大人に向かって自分に必要なことを伝えられるか」ということを重視して育てました。これも、発達、性格、年齢に合わせて、段階を踏んで「必要なことは自分で言う」という練習をすることが大切だと思います。

 

また、知らない人と知り合いになることに躊躇しないこと。というより、むしろ、相手の言葉を使ってでもコミュニケーションを取りたいと思うことが大事で、その気持ちが育っていることを観察しました。

税関を通るときの会話シミュレーションは、教科書に載っているそうで、慌てて見直して練習しまして、実際には、思いもよらないことをたくさん聞かれましたが、なんとか対応していました。

わたしは、それでいいと思うんです。「あっ、そういえば、英語の教科書のあそこに書いてあった!」と思い出すだけで。だって、実際に税関は通れたんですから。「自分で通れた」という自信の方が大切です。

 

わたしは「どうせ英語が通じるだろう」と思って、失礼なことにまったくドイツ語を覚えずに行ったのですが、次男の方がお店での挨拶や常識を調べ、「ハロ」「トゥス(さよなら)」など、果敢にコミュニケーションを取っていました。

 

朝はブッフェ形式で、レストランの入り口で部屋番号を言ってチェックしてもらう必要があります。ただの数字でハードルがとても低いので、次男が言ったのですが、激しく聞き直されてしまい、心がポキンと折れたときがありました。

わたしは、とてもいい経験をしたと思って、「どんなに発音が悪くてもかっこ悪くても、わかってほしいという意思を持って、大きな声ではっきり口開けて言ってごらん。英語はそれが一番大事なんだよ」と教えました。これは本当に、日本の英語の授業では学ぶことができませんから。

 

異論もたくさんあると思いますが、実際に海外に行ってどのくらい英語が必要かは、目的によってまったく変わります。もっとも大切なことは、「伝えたい」「コミュニケーションを取りたい」「やりたいことがある」ということではないでしょうか。そのときに、持っている英語力を全力でフル稼働するかどうか。案外、「言えるのに言わない」子も多いのではないかと思います。

 

危険と情報

ベルリンの街のはずれに、ベルリンの壁に絵を描いたアート作品があります。次男がそこに行ったとき、着ぐるみが陽気に近づいてきて、「一緒に写真撮ろう!」って声をかけてきたそうなのですが、「No!撮らない」と振り切ったそうです。そう、もし写真を撮ったらお金を要求されるという手口だったのです。

わたしは知らなかったですが、長男も次男も、この手口のことを知っていました。みなさんは知ってましたか?

 

他にも、ひったくりやスマホ盗難など、わたし以上によく調べて注意していました。このことも、大人が「あれが危ない、これに気をつけろ」というより、実感として少しずつ危険を体験して、"自分で考えて自分の身を守らねば"という考えを持っていないといけません。

 

「そんなこと当たり前」ですよね。

 

でも、その「当たり前」が案外、育ってない子も多いのです。みなさんのお子さんはどうでしょうか。あれこれ言わなくても、自分の身は自分で守れるように"自然に"なっているでしょうか。わたしは"海外にも行かせられる"と思えるまでに16年かかりました。

 

今回、スマホWi-fiの必要性は身に沁みて理解できました。わたしは「苦労して自力で海外へ行く」ということに頑なにこだわっていたので、旅行会社も利用したことがなかったのです。そして、現地でもらえる地図を頼りに移動する、ということにもこだわっていました。

でも、モバイルWi-Fiスマホがあれば、高校生がなんでも自分で調べ、どこにでも行けることに感動しました。「どうしたらいい?」「どこへ行けばいい?」「なんて言えばいい?」と聞くことは一切ありませんでした。

 

まとめ

「海外へ行く」というのは、お金さえ出せば誰でもできることです。

でも、「子どもが自分の活動範囲を"世界"で捉えること」と海外旅行は全く違います。これからの時代は、ますます国境の壁は無くなり、"世界"で考えることでチャンスがいくらでも広がっていくと思います。いつでも出て行けるようにするために、

 

  1. 自分が生活している範囲を把握し、その外の世界を知りたいとワクワクすること
  2. 知らない人に「伝えるべきことを伝えたい」と思うこと
  3. 「情報と危険」を自分で調べて得られること

 

わたしは、この3つを育てておくのが大切なのではないかと考えました。そして、やはりこうしておけば、英語力、性格などに関係なく、世界に臆しない子に育つ、と確信しました。

子どもを発表会に出す親の心得

昨日、おさんぽファミリーコンサートで、子どもたちが自分で考え、自分で動ける様子をお知らせしました。

 

もう2点、ミューレならではの文化をお伝えします。
ひとつは、「子どもに注意する必要がない」ということ、もうひとつは「親も教育する」という点です。

 

音楽教室ミューレではもう当たり前の光景ですが、実は、一般的にはこの光景は当たり前ではありません。

 

まず、リハーサル中、たとえ幼児であっても走り回ったり機材や会場に失礼なことをしたりして、叱られることは一切ありません。他の演目のリハ中は、じっと待っています。

 

実は正確に言うと、じっと待っているのかどうか、わたしは知りません。演目に集中しているので…。どう過ごしているのかわからないけど、一切、存在感がありません。幼稚園児が10人もいても、です。先輩たちの真剣な様子に「これはただごとではない」と息を飲んでいるのか、または、小学生が待たせているのか、とにかく、1日を通して、ありがちな「注意」は一切必要ではありません。

 

「優等生」だったり「しつけられているから」ではなく、「幼児でも、自分で考えて自らそのように行動している」というところがとても不思議な光景です。

 

それからもうひとつ、ミューレならではの光景があります。それは、「親が一切立ち入らない」ということです。

 

会場まで連れて来ていただいたら、あとは引き渡してもらい、すべての面倒は上の子が見ます。親がお世話することはしません。

 

なぜでしょうか?

 

それは、とにかく親は「口も手も出しすぎるから」です。しまいには、「先生、うちの子、どの順番で待機していればいいですか?」というような、演出に関することまで代わりに聞きに来る始末・・・。

 

ただ、これは、親が悪いだけではなく、主催する側のスタンスにもよるから難しいです。一般的に、発表会を催す先生は、「自分の指導がちゃんとしているかどうか、評価される場」と考えて、子どもが教えた通りに、できれば指導した最高のものを発表することを望んでいます。

すると、裏がどうであれ、表に出た時に立派に歩き、立派に挨拶し、立派に弾き通すことを一番重視している可能性があります。その場合は、親が手を出し口を出し、体裁を整えることが最優先になります。

 

わたしは、「子どもの学びが最も優先」とあらかじめ伝えてあります。何度も何度も、「余計なことを言わないで」と言います。すごく詳しく、具体的に、「余計なこととは、どういうセリフか」「どういう場面で子どもの学びを奪ってしまうか」ということを、いわば、親にも一緒に教育しているような感じです。

 

「親に教育する」というと、とても偉そうに失礼に感じるかもしれませんが、「子どもが学び切るために親としてどうしたらいいか」、教わる場面は他にないと思うんです。子育ての不安は、「知らないから」ということも大きな要因ですよね。

 

親が口と手を出すのは、「あなたのことは信じていないよ」「できっこないよね」というメッセージに繋がってしまうんです。一方で、「大丈夫だよ、信じているよ、きっとちゃんとできるよ」というメッセージもちょっと違うんです。

 

伝えたいメッセージは、「失敗も成功も、すべてはあなたのものだよ」ということです。子どもを尊重して踏み込まないでほしいんです。大事なことは、「わたしは、どのような結果であっても、親として、それを全面に受け止めるよ」ということなんですね。その覚悟が子どもを強くします。

 

先輩たちの保護者様は「先生に、何度も何度も同じことで怒られた。それでも口を出してしまう」とおっしゃいます。ですが、「親が口を出さず、子どもに学ばせて成長させる」という姿勢は、徹底的に浸透しています。

 

また、このようにも伝えます。「2度と立ち直れないほどの傷を負わせて痛い目に合わせるつもりはないが、もし、万が一、固まってしまって、ただ出て来て帰っただけで終わったとしても、その"今の姿"を100%受け入れてほしい」と。

 

わたしにも覚悟があります。保護者様にも覚悟を決めてほしい、と伝えてあります。
発表会は大人のためではないからです。

 

わたしにお任せいただいた以上、すべての指導の責任はわたしが取ります。
親が口を出すということは、プロであるわたしの現場に踏み込むということです。

 

ただし、出て来るものは、「その子の本当の実力」です。だから、それはそのまま受け止めるしかありません。

 

もしかしたら「ふむふむ、そうだ、そうだ」と思って読まれるかもしれませんが、これを実行するのは並大抵のことではありません。教室の方針に背いて勝手に「子どもの自由に」と自分だけが放置するのは、もしかして「親がちゃんとさせてください」という教室だったら逆に失礼なことになってしまいます。

 

だから、自分はどうしたいのか、どう育って欲しいのかよく考え、その方針をはっきり打ち出している教室を探すことが肝心だと思います。

ファミリーコンサートで見て欲しかったこと

2018年8月10日、親子で楽しめる「おさんぽファミリーコンサート」を開催しました。

14:00-/16:00-の2部構成で、どちらもたくさんのお客様に聴いていただきました。お越しくださったみなさん、ありがとうございました。

 

まずは、いただいた感想からご紹介します♪

今日はコンサートありがとうございました!
車の中で子どもたち、もう一回見たい!って言っていました!私もです!
先生が朗読してくださった本を、可能でしたら教えていただけたら嬉しいです!

ありがとうございます。こちらの絵本を読みました♪

あなたのことが だいすき

あなたのことが だいすき

 

 

演奏・構成等素晴らしくステージに引き込まれていきました❗️

何よりお出迎えの時からの子ども達の目にドキッとしました。

私から感謝を伝えたいと終わって帰る時も、見送りをしてくれる子ども達の目は、どの子もちゃんと目が合い気持ちが伝え合えたことが、最後まで感動でした。

いち観客が感動していたことをステージの上で輝いていた子ども達に伝えていただいたら嬉しいです❗️

音楽を通して、あの目ができる子ども達を育てられている保護者・先生方に敬意を表します✨

 

昨日のコンサート行けて良かったです💓
クワイヤの子達の歌や演奏、先生のピアノに、歌、絵本、内容が盛りだくさんで親子共々楽しませていただきました💓
お友達親子を誘って行ったのですが、友達もふだん先生のピアノを聴ける機会なんてないから良かった!と言ってくれたので誘って良かったです😊
来年も楽しみにしています✨

 

まずクワイヤの子ども達の生き生きとした姿に感動しました。一人一人から『自ら楽しんでいる。』というような印象を受けました。
そして、自分の足で立っている、歩いている、自ら成長しているよ!というような子ども達の強さも感じられ、あぁ子どもってこんなにもたくましいんだなぁと思いました。
3歳の娘も釘付けで、お腹の子どももボコボコ反応していました。笑

そして、あなたのことがだいすきの絵本、先生の歌です。
最近、(特に夏休みが始まってから)自己主張する娘の言動にイライラしてしまう事が多く、そんな自分に疲れていました。
そんな私には突き刺さる言葉ばかりでした。
今の娘との時間は今しかない貴重な時間。すっかり忘れてしまっていたように思います。家事や片付けなんて後回しでいい。もっとゆったり娘をじっくり見よう!と心が変わりました。自然と目の前の娘を温かい気持ちで抱きしめていました。

涙が何度も溢れる1時間でした!!

 

コンサート、子供達が活き活きとパフォーマンスしている姿を見て、我が子たちも、なにか、楽しんで打ち込めるようなものを見つけられるといいなぁと思いました。

 

最後の子どもたちが全員出たステージ、ジブリのメドレーで、集中力がキレかけた幼い子たちが、ポニョのテーマがかかった途端に「私の出番よ!」といわんばかりに大きい子をかき分けてステージ最前列に飛び出てくる姿がとても印象的でした。それぞれの子どもが自分で考えて自分で表現することを尊重されている現れなんだな〜〜と思いました。
そして、中高生のテーブルミュージックは個人的にとても好きでした。あの年頃の子たちがあんなに真剣にみんなで一つのものを作り上げようとする姿、素敵ですね。
楽しい時間をありがとうございました。

 

ダイジェスト映像を作りました。感想にいただいた、小さい子たちが飛び出す様子もご覧いただけます(^^)。


おさんぽファミリーコンサート

 

子どもたちの姿を見ただけで、その子たちがどんなことを感じ、考え、そこに立っているかが伝わるようなコンサートを目指しました。「楽しい!」で終わるコンサートは素敵なのがいっぱいありますからね。

どうして、演目を観覧しただけで、その裏にある子どもの成長まで伝わるかというと、その前の指導に秘密があります。どのように仕上げていき、どの子にどのタイミングで何を教えるか、常にねらいとポイントを定めています。あとは子どもがどのくらい受け止めるか、保護者様が黙って見守ることができるかにかかっています。

わたしがもっとも厳しく指導するのは、「手を抜いているように見えるとき」です。

本人にはもちろん「手を抜こう」という意識はありません。自信のなさや、「人に合わせておこう」という無意識の刷り込みが、邪魔をしてしまうんですね。無意識だから、意識して乗り越えないと、「ここが自分の実力の限界だ」「自分はこんなもんだ」と思ってしまいます。

わたしは、子どもたちが「今回のコンサートで上手に歌う」ということよりも、「将来に渡って、社会人になったとき、どのように考えることができるか」という点で指導をします。

子どもたちは、徹底的に「無意識に守りに入ってしまう自分」と戦って、向き合わされています。それがお客様に伝わるのだと思います。

 

わたしが本当に見て欲しいのは、実は、演目ではなく、準備と片付けのときの子どもたちの動きです。

高校生は、当然、何も言わなくてもどんどん働きます。ときには、自分たちで必要だと思ったら、予定していなくても、会場に備品を借りに行くこともあります。マイクを置く位置や立ち位置に印をつけたり、ブルーシート席を固定したり、一般的な舞台裏スタッフがやるような仕事は、テキパキと役割を自分たちで決めて、多くを話すこともなく動きます。

中学生は、既に分かっていることでやらなくてはいけないことを見つけて動きます。「何をしたらいいですか?」「これ、どうしますか?」と聞きに来る子はいません。高校生は全体の運営に関わることで動くので、小さい子の面倒は自然に中学生の役割になります。大勢をトイレに連れて行き、お客様の邪魔にならないように順番に済ませて連れて帰るようなことは、指示がなくても中学生がやります。

小学生は、「先生、モップかけますか?」など、具体的に考えたことを聞きに来てから動きます。モップのかけ方は、ミューレで中高生がやっているのを手伝ったことがある子が、「木の方向に沿って、ゴミがこぼれないように、モップの方向を変えてはいけないの」などと教え、自分たちで順番を決めて動きます。

幼稚園児は仕事はありませんが、このような様子をずっと見ていて、お世話をしてもらうので、小学生になる頃には、何をやったらいいかわからない子や、できればサボりたい、というような子はひとりもいません。仕事をすることが当たり前だからです。

 

とにかく、誰ももめない。誰も迷わない。誰も文句を言わない。人に教える。面倒を見る。それは徹底しています。

 

舞台上でも同じです。年齢が上の子が下の子のフォローをしながら、ハプニングを何事もないようにクリアしていきます。リハで失敗したことは第一部でどうすれば回避できるか考えます。第一部で失敗したことは第二部でどうしたらいいか考えます。

たとえば、第一部で、舞台上で幼児が立ち位置に着くまでにごちゃごちゃとしてしまったあと、第二部でどうするのか見ていたら、小3の子たちが指示をして、舞台上で並ぶ順番で待機させていました。

演目の途中でも、顔が見えていない子がいたら、幼児は小学生が、小学生は中学生が、目立たないようにスッと手を背中に当てて、前に出してあげたりします。

細かく、具体的な指示は出さなくても、ポイントと目的を抑えたら自分たちで考える。それは、本当に素晴らしいです。いつも、リハではあれこれ叱られたり指導されたりして、泣く子もいますが、本番はまったく慌てず騒がず、何が起きても自分たちでなんとかする。とんでもないハプニングがあった、とわたしが知るのはいつも終わってからです。

 

録画・録音してしまうと、素人の演奏はどうしても目減りしてしまうので、遠方の方々へお見せしたくても、なかなかそのレベルに達しないのが正直なところです。

ですが、前後のドキュメンタリーは、いつか見せてあげたいなぁと思いました!

 

新聞2社さまから取材を受けまして、朝刊に写真入りで掲載していただきました!

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あらためて、ご来場くださったみなさま、ありがとうございました。

自分も虐待してしまうのか不安です

目黒区で、5歳の女の子が「ゆるして」と書き残した、とても痛ましい虐待死事件が起きてしまいました。

今まさに、同じような年齢の子を育てているお母さんから、こんなおたよりをいただきました。

 

そのニュースを見るたびに、自分が虐待の加害者なるのではないか、と不安で仕方ありません。

お世話してるし、毎日保育園に行ってるから大丈夫、と必死に言い聞かせてますが、でも、それだけで虐待していないという事にはもちろんならないでしょうし(私は子供を大声で叱ってしまう事があります)、とにかく不安で涙が出ます。

 

そこで、このニュースを見てどう感じているか、率直な感想を吐露してもらいました。

全国の名も無きお母さんたちの声です。

 

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先の虐待のニュース、私も同じです。
『虐待の発覚を恐れて…』という気持ちがよく分かってしまいます。
もしかして、絶対に発覚しなかったら私もしてしまうんじゃないかと考えてしまい、ゆあちゃんと娘が重なって怖くなってしまいます。
弟が生まれてから、どうしても怒鳴りつけることが多くなり、怒鳴っているとだんだん怒りがヒートアップすることを感じています。
『自分より弱い』『自分から離れない』『自分を愛している』と、まだ絶対的な母への愛情を逆手にとっているんだと思います。
そんなものは決して続かないのに。

私は常に精神的な虐待をしているんだと思います。
児童相談所が訪ねてくる恐怖がずっとあります。
自分が悪いのに。

5歳の子どもが、遊ぶなんていわないとか親に本気で許しを乞うような心理状況になってしまうほどの虐待とは?と、きっと子育て前の自分なら憤るだけで終わっていたと思います。
今は、子どもたちにこんな思いをさせたくない一心です。

娘は、『私を生んだお母さんが私を好きなように、お母さんを生んだばーばはお母さんのことが好きなんだよ?』と、何かの折に娘から言われました。
娘がずっとそう思えるような環境でいさせてあげたいです。

 

 

今回の虐待死亡事件については本当に苦しい気持ちになります。
たった5歳の子供があんな言葉を書くなんて。
でも私ももう少しであっち側になるところでした。
あまりに言う事を聞かずキレてしまう自分がいます。
今回の継父の暴力とそれを黙認した母親とは違うけれど、虐待と言われたら反論出来ない事柄でしたから。
ワンオペで辛いって事もあるけれど、ひとつひとつは些細な事なんだけど蓄積して爆発してしまうんですよね。こんな些細な事でと自分の我慢が足りないのか?過敏に怒り過ぎなのか?と不安になります。
しかもこんな事誰にも言えないし。
児童相談所まで行き、そこのおじさんに「気持ちはわかります」とか言われても「あなたは仕事してて子供みてないよね?」ってすごく悔しく情けない思いがしました。

いろんな人が何かあれば言ってって言うけどなかなか言い出せないものです。

 

 

私は父から暴力を受けて
母からは助けてもらいつつもあなたが悪いんだ
父を怒らすな
的なニュアンスをやんわり伝えられ続けて育ち

子育てする側になり
私がやってこられたことをやっている自分に長女三才に気がつき
もがきながらもなんとか
手が出ぬように努力し
先生からの毎朝のメッセージを読んだりしながら戒めていますが
なかなか

ただ主人がいます
ときに私をやりすぎとしかりながら

模索しています

時に外にだし
大声で泣く娘を無視した態度をとり

虐待かもと思いながらも

子供を思っています❗

抱き締めています
時に心で一緒に泣きます❗

その思いがあるとき
虐待じゃなかったと逆に感じたりします❗

事件内容をきいていると

子供からの一方通行の思い(涙)
受け止めてもらえていない状態を悲しく思い

私はやらない
ならないと思えたりしました

主旨と外れていたらすみません❗

私も洗濯機にいれたら
思いました❗
やるとやらないは大きな違いと思います

 

 

目黒の事件が本当に痛ましくて見ていて苦しくて。テレビ報道だけでは真実は分かりませんが、報道を見て自分の中にやましさ一つなく、100%ヒドイ!と言えない親の方が、むしろ人の血が通ってるように思います。。誰でも程度の差はあれ、途方にくれて投げ出したい時はあるのでは?
勝手な想像ですが、加害者の母親は、夫に逆らえなくて、それをどうにかする術を見つける力がなくて、ああなったのでは…と思います。誰かに相談する、外部機関に頼る、周りを巻き込む、など。
幸い自分は育休中に泣きまくる子どもと鬱々と二人で家にいる瞬間があっても、「聞いてよ〜」とライン出来るママ友や先輩ママ友達がいたから、おかしな事をしないで済んだんだと思います。独りぼっちだったら、私も洗濯機に放り込んでいたかもしれません。

 

私も、大声で怒る事あります。そんな不安やイライラ、主人との関係性、主人家族との関係性から色々悩み8年前から、子育て心理学の講座をされている方がいたので、学び始めました。
虐待だと気付かず、当たり前のように、躾として、私の言う事を聞く良い子を作ろうと必死になっていました。

私の両親の、怒鳴り方、支配、コントロールされてきたままが当たり前だったので、自分のしている事に気づくのは出来ませんでした。

両親のしがらみ、取り込みから、今は、やっと気が付き、自分を癒し始めている感じです。私は、私。あなたは、あなたの感覚を毎日呪文のように唱えます。
ゆあちゃんの事件は、いつでもどこでも誰にでも、すぐそばにある問題なのだと私は感じます。先ずは、自分の為、我が家の未来の為、今、一つずつ、見つめなおしていく、チャンスなのかもと思います。

 

 

虐待等の事件は自分自身と結局紙一重だと考えてます。
私には相談できる場があり、支えてくれる両親、義両親、友人、夫、公共の窓口、親の会のlineのような場所…があるから、事件に至ることはなく、何とか出来ているのだと強く感じます。
一時、色々なことが重なって、言うこと聞かない子供を毎日平手で叩きました。
「なんでお母さんに酷いことをするの?傷つけるの!?」
といって、自分も泣きわめきながら子供の肩を強く持ち、揺さぶったこともあります。
自分がこれ以上子供に何するかわからなくなるくらい不安だったので、子供から離れて一人になろうとすると子供は、「お母さんお母さん!行かないで!」と泣きながらしがみつく。
どんなに辛いこと、酷いことをされても、子供には私という親しかない。
本当に辛い時期でしたが、私の様子が異常だったため、夫と母が様子に気付き、私のフォローやカウンセリングを受けることを勧めてくれたり、親身になってくれたから、事件に至らなかっただけだと思っています。

それから、二年経ちました。
元々、感情のコントロールが苦手な私ですが、周囲に支えられ、落ち着いた時間を過ごせるようになりました。
子供も現在4歳。
毎日、「お母さん、大好き」といって、抱き締めてくれます。
もちろん、私も抱き締めて「大好きだよ」と伝えています。
でも、1度してしまったことは消えません。
子供の中に傷として残っているでしょう。
どんなに後悔しても、無くなることはないので今とこれからの子供との関係を良いものにしていけるように努力するしかないと思っています。

 

 

ゆあちゃんのニュースをたまたま職場で見かけてから今も頭から離れないでいます。五歳の長女がおり、社会の中にもいる私ですが、行政が救う方法があったんじゃないか、近所にいればおばちゃんとして何かできなかったのか。
そういう視点もあるのですが、今回の事件はなぜ親があの反省文を書かせるまでしつけにこだわったのか、が気になりました。
うちの長女はあれだけの文章は書けません。しかし、将来のためと思ってしつけたり、あるとき私の怒りをぶちまけたり、どうしてわからないのかと娘の前で泣いたこともあります。怒りながら泣きながら誰か私を止めてほしいと思っても、ひきとめるのは私しかいません。なぜ子育ては家庭に納められてしまうのか。
子どもがほしくてたまらなかった時期は虐待親に対して対岸にいて責めていましたが、今はもう私にも迫ってきている、みたいな気持ちです。本当につらいニュースでした。

 

虐待に限りません。
全ての犯罪報道、テロの報道も、自分と実際に犯罪を犯した人との違いなんて、些細なものなのではないかと感じています。
そうじゃなかったら、あんなに簡単に世の中で戦争や紛争が起きるはずがないと思います。
その中で、子育て中だとよりリアルに「自分もやってしまうかもしれない」と思えるのが、子供の虐待なんだと思います。
気になるのは、介護に疲れて家族を手にかけてしまったケースよりも、子供の虐待の方が糾弾されているなということです。子育ては、辛くても当たり前にこなせるものと思われているように感じます。

 

 

3歳男児がいます。
虐待のニュースを聞くのは辛いです。
そして、自分がいつそうなるのか、怖いです。

子供に手を出すことは殆どないのですが、小さな事でイライラして、怒ってしまいます。
そしてそれを引きずって、不機嫌なまま、ずっと対応。能面になって、最低限しか反応しない。
精神的虐待だと思います。

子供は無邪気に笑ってくれるのに、笑えない。うまく、対応できない。

寝てる子にごめんね、と謝ります。

もともとひとりの時間を過ごすのが好きなのと、子供はあまり好きではなかったせいもあり、子供と2人でいる時間はとても疲れてしまいます。

なんとか自分の機嫌を良くしようと思って、ちょっと美味しいものとか買ってみても、あまり気分転換にはならず。
いまは別の物を模索中です。

早く子供と笑って向き合えるようになりたいと思っています。

自分の事ばかりですみません。周りの人に言うことができず、吐露という言葉に、思わず書き殴ってしまいました。

 

 

私は、子供がまだ一人だった頃、うつ状態でした。と、いってもその頃は、うつだとも気づいてませんでした。
思い通りにならない子供をたたいたり、蹴ったりしてました。だから、こういう事件が起きると私も一歩間違えばそういう風になってたかも。と、心が痛いです。
二人目ができ、なぜかそれが余裕につながり、仕事を始めたらもっと自分を外から見つめれるようになり、子供にこの間、抱きしめながら謝りました。子供は、いいよって、笑顔で言ってくれたのですが、切ないです。子供の心に傷をつけたままになってるんじゃないかって。子育てしながら、償っていこうと思います。

 

ゆあちゃんのニュースは、心が痛くて苦しくて見てられません。それはきっと私にも心当たりがあるから。
大人の都合だけで怒鳴ったり、怒ったりしたことがあるから。
虐待された事実だけがニュースで流れてたらきっとここまでの気持ちにはならなかった。
5才のゆあちゃんのメモが全てを物語っていて、子を持つ親として直視できないです。
私がうるさい!ちょっと静かにしてなさい!と怒鳴った時、息子がなにも言わず机の下にもぐり黙ってたとき。ゆあちゃんと同じ気持ちにさせてたのかもしれない。
ごめんなさい、もう静かにするからお母さんこっち向いてっ
て思ってたのかもしれないと思うと罪悪感でいっぱいです。

きっと今までたくさんそんな思いさせていたと思う、自分も同じだと感じました。

 

 

この事件、ゆあちゃんがどんな気持ちで反省文を書いたかと思うと悲しくて涙が出ます。
・行き過ぎた教育というか、もはや虐待(朝四時からのひらがな練習、あそぶのはあほなこと)
・夫婦の力関係(黙認するしかなかった母)
・継父の実子と養子の極端な差別

そんな視点から見ても、
自分とは無関係と思いたいところですが、
子供を疎ましいと思った事はありますし、怒鳴ったり手が出たこともありす。そういった不適切な対応、という意味では同類だなのだと思います。

約1年前から佳織先生のブログを読み始め、半年前からミューレに入会し、先生の子供への接し方を見てきました。そして、本を読んで勉強するようになりました。一つ一つ立ち止まって自分で考える様になりました。自分の育児への姿勢が明らかに変わりました。
ママ友の意見にいちいちブレなくなりました。子育てに大切なこと少しづつですが分かってきました。
まだまだ自分自身未熟ですし、子育て難航中です。
何でこんなに反発するんだろう、
幼稚園ではおりこうさん私の前では問題児、
いつもレッスン荒らしまくって申し訳ありません 
上と下同じ様に育ててるのに何でこんなに違うんだろう。。。
まだこの先難題が次々にやってくるんですよね。
想像すると恐ろしいですが、この修行、諦めず、放り出さず、やり遂げたいです。

毎朝メルマガありがとうございます!!

 

 

0年ほど前のまだ自分が独身の頃、たまたま見ていたテレビで虐待のニュースが流れ、一緒に見ていた人に「ひどい話だね…。自分は絶対にそんなことしないけど…だけど…気持ちが分からないでもない。」って言ったら、ドン引きされました💦
慌てて弁解したけれど、自分はしないと前置きしたうえで発した「分からないでもない」という言葉が、こんなにも人とずれている感覚なんだと知り、それ以来、思っても言わないようにしました。

一人目の子供が生まれて、かわいいけれど、かわいく思えない時も多く、どうして私はこうなんだろうと悩みました。

ドン引きされた経験から、私みたいな人間はごく少数派で、「かわいいと思えない時が多い」なんて言ってはいけないことだと思っていたので、悩みました。

3歳児検診の質問で【どちらとも言えない】に○をして網に引っ掛かり、そういう親と子供が行くサークルみたいなものを紹介してもらいました。
そこで私みたいな人が他にもたくさんいることを知りました。

それから数年後、ご縁があって音楽教室ミューレを紹介してもらい、今もずっと保護者として関わらせてもらっています。

今はその一人目の子も、二人目も可愛くて仕方ありません。

私はそのままの自分と、そのままの子供を受け入れられるようになってから、それまでよりは楽に生きられるようになりました。

おたよりのお母さんの不安が、少しずつでも和らぎますように…。

 

このニュースを目にするのが私も怖いし、痛いです。

3歳になる息子がいますが、現在シングルで育てているので、今回のケースはいろんな視点で感じ取れてしまい、このニュース自体触れたくないな…と思う自分もいます。

いい、悪いで判断出来ないそんな感覚です。もちろん悪いことなのですが、、、。
子育てを核家族ですること自体がもうムリなんだな、と思います。親自体が弱者(経済的、精神的)だと、結局はもっと弱者の子供にしわ寄せがいってしまう。

私は息子と2人暮らしなので、私がキレたら誰も止めてくれる人がいないんだ…と思うといつかやってしまうんではないのか…と不安です。

もちろん、今回のような父親を連れてきてしまうことも…。

 

 

わかります。
この子の両親はどんな人生を歩んできてこのような事になってしまったのだろう、子供にキレる私と何が違うのかな、って思います。

 

 

痛ましい虐待について、私も含めて皆さん一度は、我が子を疎ましく思ったり、捨てたくなったり、虐待しそうになるかもと不安を抱えたことがあると思います。
核家族で、赤ちゃんや子どもと触れあう機会も日常にないまま、出産し手探りで育児を始める。
これといった育児学みたいなものもなく、1人で作り上げないといけない。

皆不安定になって当然だと思います。

ただ、母になった以上、そういう気持ちを何とか消化し、乗り越えていくべきだと思うのです。
私も娘にぶちギレそうになること何回も経て、その度に泣いて反省して、最近ようやく一つ山を乗り越えることができたと思います。
乗り越えたと思えたことで、自分が母として、人間として成長したなと、自信になりました。

母親が育児の問題を乗り越える人になるために、何が一番大切だと思いますか?

これは子育てにもダイレクトに通じてくると思います。

 

 

私も虐待だろうと思います。
私がこの子達の母親でなければ、子供達はもっと幸せだったかもしれないと何度も泣きながら思った事があります。
幼稚園へ行く前の朝のバタバタの中、起こしてもなかなか起きず、朝ごはを食べるのも遅く毎朝イライラして、自分でもどうかしてると思うくらい怒れて子供達に怒鳴ってしまい、ひどい時には頬を叩いたり…
私は不妊治療でようやく1人授かり2人授かれたのに、こんな事をして本当に最低だと思います。
自分でもこれではだめだと思い、周りのママさん達に相談し、やり方を変え最近はほとんど朝は怒らなくなりましたが、違う場面で怒れた時に、たまに手が出たり、脅し文句が出たりしてしまいます…。
自分自身が未熟で情けないです。
変わりたい自分がいてもなかなか変える事ができず苦しいです。

 

私はあのニュースを知ってから 毎日ふとした瞬間に思い出し 悲しく辛くなります。 初めは結愛ちゃんの苦しさを思い 本当にやるせない気持ちになりました。日が経つにつれて 今度は母親の気持ちを思うようになりました。きっと昔は優しいお母さんだったんじゃないか...。20歳で出産し5歳まで育てる...簡単なことじゃなく 苦労したんだと思うんです。周りの大人はいなかったのか 何をしていたのか 救える人がいただろうに...。 遠くの全く知らない人の話だけど すごく心が痛いです。浜松にはそんな人いないかな?周りにはそんな悩んでる人いないかな? そんな心配ばかりが毎日頭を過ります。

幸いか 私自身は加害者になってしまうのではないか、といった不安はあまりありません。子育てに苦労は付き物で 悩みだってありますが それが虐待の理由になるとは全く考えられません。親の性格の違い?生活環境?何がその分かれ目なのか。
 
1人で抱え込まなければ 絶対そんなこと起きないと思います。甘いでしょうか。

 

 

わたしの感想ですが、ゆあちゃんのお母さんの自立の問題であるようにも思いました。ゆあちゃんは以前幼稚園に通っていたのを見ると、お母さんは専業主婦かなと想像しました。
もしも、ゆあちゃんのお母さんが再婚した夫に逆らって別れを言われても、生きていける自信があれば、ゆあちゃんを救えたのかもしれない、と思いました。

やはり、女性は仕事をして社会と関わり続けることが大切であると思いました。

細かいことでは児童相談所の問題はあるかもしれない。
しかし、それ以前に女性の自立が深く関わっていると思いました。

 

 

虐待をしてしまっているんじゃないかという恐怖、 将来、こんな子に育ってしまうのではという恐怖。 虐待と新幹線殺傷事件で思う。

 

ゆあちゃんのニュース、わたしも先生と同じです。両親のことを糾弾する意見を聞いて、(もちろん、ゆあちゃんのことがかわいそうで、許されることでは無いと思うけれど)5歳まで育ててきたことを考えると、周りからの親がしっかり育てるべき視線に苦しんだのでは?とか父親がいいおとうさんにならなければと思っていたのでは?とか、まだお母さん5歳、お父さん2歳だったのでは?とか思って、両親を100%責められません。糾弾するコメントに耐えられずにチャンネルを変えたりしています。子供を持った直後から、立派な親像が求められている気がして。自分の子育ての言い訳をしているような気持ちになります。

余裕があったり、誰かが近くにいたりすれば、そんなことはないけれど、密室の家の中で、体調が悪い時など自分一人で長女次女の相手をし、早く寝かさなきゃと思えば思うほど、子供達は思うようにいかず、怒りになって大声をだして怒ってしまうってことがわたしもあります。子供達には逃げ道が無いのもわかっていて、日頃から子供達をジーッと待ってあげたい、そうするにはどうしたらいいのだろうと思っているのにです。

人のうちの子には許せることが、自分の子だと許せないんです。自分の一部化してしまうような感覚です。そして、我が子の結果=親のしてきたことと言われている感じが自分の子育てを苦しめているのかもしれません。先生のメッセージを読み続けることで、そんな風に洗脳されそうになる自分を、必死でこどもに生きる力をつけるんだ!と言い聞かせているような気がします。

 

 

寝てくれない、泣いてばかり、癇癪がひどい、普通の精神状態ではなくなっていたわたしは何度子どもと一緒に無理心中しようかと思ったか。。日々が辛くてとにかく逃げること(死ぬことしか選択肢がなかった)しか考えていなかったです。

望んで産んだのに、いとおしくて産まれてきたのに、なぜ虐待に近いことをしてしまうのか、毎日自分を責めてはこれではいけないと思いつつも同じことを繰り返していました

 

 

わたしが解説するまでもなく、みなさんのご意見の中に大切なことが全部詰まっていると思いました。

もう子育ても終わりに近づいているわたしが思うことは、やっぱり、あの頃の自分はおかしかったってことです。

自分で自分のことを恐ろしく感じているお母さんもたくさんいますが、あなたは虐待する人ではありません。それがあなたの本質ではないし、本当の姿でもない。

なぜおかしくなっていたかは、もう、いろんな理由すぎてわかりません。

とにかく、余裕がなかったと思います。しんどかった。

 

だけど、「自分がおかしくなっている」ということを、いちばん認めたくないのは、他でもない、自分だったと思います。

 

「違う、目の前の子は可愛いんだ、わたしは可愛いって思ってる。笑顔に幸せをもらってるし、一緒に遊んで楽しいんだ」って。 

 

当時の自分に会ったら、ひとことだけ、こう言いたい。

 

逃げろ。

 

 逃げるにはいろいろあります。

子供を置いて出て行け、という意味ではなく、とにかく、今の環境を変えなさい、と。

自分のがんばりが足りない、と思うには、消耗しすぎてる。
まず、体力をつけるために、心を正常運転にするために、休め、と。

 

ひとつ、また夢ができました。

もう少し年を取って、今ほどリトミックのレッスンができなくなったら、わたしは、「お母さんとお父さんのための子育て支援施設」を作りたいです。

今ある子育て支援施設は、「子どもが中心」ですよね。子どもを遊ばせるためにみんな来てるから、親も子どものために時間を使ったり一緒に遊んだりしないといけない。それが楽しい人はそれでいいと思います。

 

でも、わたしのメルマガを熱心に毎日読んで、子育てに向き合っていて、それでもなお、自分が虐待をしてしまうんじゃないかという不安を抱えている方に必要な施設は、「親のための施設」なんじゃないかと思うのです。

 

わたしが考えるのは、こんな施設です。

 

子どもたちは危険のない広いホールで自由に遊べます。
いろんな子どもたちと遊んでいるのが好きな方たちがそのホールで見ててくれてます。

お料理が好きな方たちが、簡単な昼食を一緒に作ります。好きだから楽しくできます。もしかしたら、それを手伝いたい子も一緒にやっているかもしれません。

誰もやりたい人がいなかったら、職員がおにぎりを作ってあげるか、近所の仕出し弁当を買ってもいいし、パンの移動販売に来てもらってもいいし、家から持って来てもいいです。

 

読書が好きな人は読書を、ネットを見たい人はネットを、家の事務仕事を片付けてしまいたい人は持って来てやります。パソコンで締め切り前の仕事を片付ける人もいるかもしれません。

 

出張で、美容師さんが髪をカットしてくれたり、まともにゆっくり洗っていない髪をシャンプーしてくれたり、アロママッサージに来てくれたり、それは予約制で利用できます。

 

ホールより少し小さい部屋があって、そこでは、リトミックや絵本読み聞かせなどの子ども向けプログラム、ヨガやコーラスなど親が参加できるプログラムがあり、やりたい人は自由に参加できます。スポーツクラブみたいに。

 

中には、「もう休んだほうがいいよ」っていうくらい、辛くていっぱいいっぱいの人がいます。いくつか防音で真っ暗になるカプセルみたいなお部屋があって、そこで眠ることができます。

 

この施設にお世話になった卒業生の親たちが、自分にできることで恩返ししてくれます。修繕してくれたり、子どもを見てくれてたり。

 

何も決まったことはなくて、ただ、人の良心で成り立っている。できる人ができることをやり、変な当番とか役員とかもなくて、ずっと助けられっぱなしの人がいてもいい。

でも、誰もお客さんじゃなくて、「誰かといっしょに育てたら育てられる」という希望と主体性を持って、関わり合う。

 

ただ、家の中でひとりでやっていることを、同じ立場の人同士で助け合う。なんの縛りもなくて、自由。

 

 

そうです、ミューレの大人版みたいな施設を、いつか作りたい。

 

 

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6/24(日)、来週に迫った講演会の詳細はこちらです。

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講演会【ひっぱりだこの子どもに育てる!〜企業に求められる人材とは〜】

生きる力をつける親の会主催 講演会
【ひっぱりだこの子どもに育てる!〜企業に求められる人材とは〜】

 

「ぜひ君に働いてほしい!」
「あの新人、できるなぁ!ぜひうちの部署に来てほしい!」

あなたのお子さんが就職して、こんな風に言われて働けたら、幸せなことですよね。
企業であれ個人事業であれ、求められる人材にはいくつかの共通した特徴があります。

今回の「生きる力をつける親の会」講座は、ローランド株式会社社長、三木純一氏をゲストにお迎えし、「ひっぱりだこの子どもに育てる!〜企業に求められる人材とは〜」というテーマでお話します。

三木氏から語られる人材の特徴に対し、0才から大人になるまで子育てを見つめ続けた経験から、坪井が「どう育てたらいいのか」語ります。

今回は、ぜひ、多くのお父さんに聞いていただきたい内容です。

 

◆開催日時 2018年6月24日(日) 13:00開場/13:30開演~15:30終演予定
◆場所   浜北総合体育館(グリーンアリーナ) 第二会議室(駐車場あり)


◆定員   50名
◆講師   生きる力をつける親の会代表 坪井佳織

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音楽教室ミューレ主宰。おさんぽリトミック/生きる力をつける親の会/ダルクローズ・リトミック浜松研究会代表。ローランド(株)勤務を経て、音楽教室を立ち上げ、現在、リトミックを中心に0才から大人まで、のべ150名の生徒が通う。自主活動から浜松市子育て支援事業に発展させた「おさんぽリトミックは、毎回200組を超える親子が参加。2才の子が大学生になるまでの子育てに伴走、自分の判断で動ける子を育て上げた経験を生かし、「生きる力をつける親の会」無料LINEメルマガを毎日配信。


◆ゲスト  三木純一氏(ローランド株式会社取締役社長)

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ローランド株式会社代表取締役社長。
1977年ローランド株式会社入社以来、電子楽器開発のエンジニア、開発リーダーなどを歴任。業務内容が変わるたびに徹底した研究・調査に基づき、いかにして役割を果たすか試行錯誤と実行を繰り返した。2013年4月、同社代表取締役社長に就任。国内外あわせて2,000名を超える社員を統括する立場から、グローバルな視点での教育問題にも関心を寄せる。

 

◆お申し込み方法

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◇現金支払い(音楽教室ミューレまたはおさんぽリトミック受付で1週間以内にお支払いください)はこちらから

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いかなる場合もキャンセル・返金は受付できません。ご了承ください。